メディアよ ビビリはもうやめよう
— スカスカだった選挙報道 —
猛暑の中の参院選が終わった。結果は予想通り、自民65、公明11の与党圧勝。「ねじれ」が解消して与党は「何も決められない政治から決められる政治に」と胸を張る。そんな中、少し大げさに言うと、私はこれで「しばり」から解放された心境だ。
選挙期間中の9日、このコラムに「キャスターと政治家の火花散らす対決見たい―投票行く気うせるスカスカの選挙報道―」と書いたところ、有権者のみなさんや新聞、テレビなど報道関係の方から様々な反響が届いた。実際、今度の選挙報道はいつもにも増してひどかった。「少しでも意に沿わない報道があったら、取材を拒否する」という一部の政党の脅しが効いたのか、かつては連日、賑やかに取り上げていた情報系番組は選挙報道から一斉に手を引いた。タレントと候補者のツーショット映像があったといって出演番組の放送が延期になった。
ニュース番組も各党の主張を満遍なく取り上げるだけでスカスカ。余った時間を連日、猛暑と豪雨のニュースでお茶を濁していた。でもね、こんなビビリはおととい限りでやめようじゃないか。ねじれが解消したということは政権運営がスムーズに行く反面、勝った方はなんでもできる。今回の選挙は、アベノミクスというカネ色をした衣に包んで、憲法改正、消費税、TPPに沖縄の基地、大事なことは衣の下の鎧(よろい)に隠したままだった。
与党が数の力をたのんで鎧の部分を押し通そうとしたら、思いのままだ。それに一部の政党の代表の中には、当選後、公約にもないことをごり押しにやってのけて、「嫌なら選挙で落とせばいい」が常套句のタチの悪い人もいる。
もちろん野党にだって責任はある。即原発ゼロや脱原発を公約にした党は、それに向かって何をするのか。「負けたから何もできない」は通らない。だけど、有権者が意志表示できる次の国政選挙は3年後の参院選。
ならば、誰がその間の政治をチェックするのか。言うまでもなくメディアでしょ。だからこそ、私はビビリはもうやめようと言っているのだ。投票日前日、読売新聞が18世紀のフランスの啓蒙(けいもう)家、ルソーの言葉を引用していた。
<イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民は、奴隷となり、無に帰してしまう>
そうならないためにもメディアのみなさん、しっかりチェックしようよ。私もこれからは存分に言いたいことを言う。壇蜜さんにならともかく、議員に「私の奴隷になりなさい」なんて言われるのは、真っ平御免だ。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2013年7月23日掲載)
|