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大谷昭宏のハート ツー ハート
家族を祖国を、ふるさとを愛した安蘭けい

大谷 昭宏

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 この「湖国と文化」に「ハート ツー ハート」と題してエッセイを連載させていただいて、早いもので前号「09年夏号」で二十二回を数える。前回は最近の景気低迷にふれ、そのなかでも最も過酷な状況に陥っている外国人労働者の問題を書かせていただいた。とりわけこの滋賀県は群馬、静岡と並んで日本で有数の外国人労働者の県である。

 エッセイでこんなことにふれることにしたのは読者のみなさんも、もうすっかりお馴染みの「近江渡来人倶楽部」の河炳俊さんからその原稿を書く少し前に、SOSが飛び込んできて琵琶湖をのぞむ「ピアザ淡海」での講演と鼎談の場に行ってきたからだった。河さんは在日韓国人、自らの出自に思いを馳せ、早くからこの滋賀の地で多文化共生社会の実現を訴え、西に東に駆けずりまわっている。私はこの「渡来人倶楽部」が産声をあげたばかりの九年前から、河さんたちの考えに共鳴、講演会やシンポジウム、なにかにつけてお邪魔させていただている。

 前回のこのエッセイの最後は私がその講演と鼎談の席で話させていただいた言葉で締めくくらせてもらった。私は北海道がかつてバブル崩壊の影響をもろに受け、瀕死の状態に陥ったとき、道民たちは「試される大地」を合い言葉に再生を誓ったことを紹介。
 いま外国人労働者を多く抱える滋賀県は、まさに「試される湖国」なのではないか。それは豊かな自然のなか、農業、畜産の県であると同時に全国有数の物づくりの町、滋賀のまさにヒューマニティー、人間性に関わることだ。マザーレイク、琵琶湖を抱いた湖国の県がこの地に住む外国人にとってマザーランド、故国の県になれるかどうか。そのことを問われているのではないか


 さて、こんな私の言葉をエッセイに掲載したその〈09年夏 第128号〉の「湖国と文化」が届いてびっくり仰天、なんと表紙は実に美しい宝塚の男役スターのポートレートで飾られているではないか。この「湖国と文化」とのおつき合いは古いし、中井二三雄編集長もよく存じ上げている。だけどこの雑誌が宝塚はもちろん、スターや女優さんを表紙にもってきたことはついぞなかったはずだ。その美しい写真とともに表紙には「湖国の星 安蘭けい退団記念号」とある。失礼ながらどう考えても、あの中井編集長と安蘭さんは結びつかない。いや、他人のことを言っている場合ではない。この私だってそうだ。これまで数多くの雑誌に原稿を書いてきてはいるが、表紙にこんな美しい女性が載った雑誌に提稿したことなど、もちろん一度もない。

 そもそもこの号に私が書いた原稿といえば、先に記したようにどちらかといえば、堅苦しい話。宝塚のような、きらびやかな華やかさとは縁遠いもいいところであった。だけど、これはあとでふれることになるが、この安蘭さんを紹介した「湖国藝術紀行」を読み進むと、私の「ハート ツー ハート」と安蘭さんは決してなんのゆかりもないわけではない。むしろ私は、安蘭さんが表紙を飾った号にあの原稿を載せていただいて光栄だった。そんな、えにしさえ感じ始めていたのだから世の中は不思議であり、楽しくもあり、うれしくもある。

 それはともかく、私と宝塚、タカラヅカである。これまでなんの縁もなかったというわけではない。友人のジャーナリストのお嬢さんが宝塚音楽学校をめでたく卒業、その95期生卒業公演にお招きを受けてこの春、舞台を観てきたばかりである。それに、わが事務所のスタッフの女性に熱烈な宝塚ファンがいる。誘われるままに、何度か舞台を観ているうち、宝塚はなぜこうも長い間にわたって人々を魅了し続けるのか、おぼろげながらわかってきたように思う。

 これは私だけのモノの見方かも知れないが、歌劇であれ、芝居であれ、オーケストラであれ、もっと言えばスポーツであれ、私はプロが大好きなのだ。持って生まれた才能に加えて、鍛え抜かれ、鍛練し尽くされたプロの姿に感嘆の声を上げる。その瞬間が好きなのだ。


 とは言え、宝塚に関して言えば、とてもファンなどとおこがましいことを言えた義理ではない。そもそも、安蘭けいさんはその名こそ耳にしたことはあるが、どんなスターなのかも不明にして存じ上げなかった。だが、案ずることはない。身近に宝塚ファン歴ウン十年のスタッフがいる。星組の男役トップスターだった安蘭さん。私が表紙を見て、「目の力がとても印象的だ」と言ったら、すかさず「そうなんです。本名も瞳子(とうこ)さんっておっしゃるんですよ」。そして表紙の写真を「これは『スカーレット・ピンパーネル』のフィナーレの写真です」と解説してくれるではないか。ファンとはありがたくもあり、げに恐ろしくもある。

 さあ、ここから彼女の話は止まらない。安蘭さんは、石川五右衛門や『赤と黒』のジュリアン・ソレルが代表作の男役スターだけど、オペラ『アイーダ』の宝塚バージョンではヒロインのアイーダを見事に演じた実力派であること。早くから歌唱力、演技力に高い評価を得ていたにもかかわらず、入団から16年かかってのトップスター就任。ファンはどれほどその日を待ち望んでいたか、話は続く続く。

 「私は、この『スカーレット・ピンパーネル』が一番好きです。これは原作が『紅はこべ』のブロードウェイミュージカルで、第34回菊田一夫演劇賞演劇大賞も受賞しているんですよ。主人公はカッコいいだけでなく、お笑いのセンスも必要な難しい役でした。そうそう、『炎の中へ』というナンバーがあるのですが、9・11テロのときに活躍したFDNYの愛称で呼ばれるニューヨーク市消防局の方々が、これを歌って頑張ったという話もあります」

 いやはや、タカラヅカの魅力は尽きまじ、である。今年95周年を迎えた宝塚歌劇団。その長きに渡って人々を魅了してきたタカラヅカのどこが素敵なのかといえば、私は先のプロフェッショナルを挙げたが、彼女は「一所懸命」ではないかと言う。トップスターはもちろん、その他大勢、舞台の端っこにいても全力で踊る、歌う、演じる。みんなそれぞれに輝いている。その中の一人が欠けても、あの華やかな舞台は成立しないからだ。プロフェッショナルと、一所懸命。それが相まっているからこそ、タカラヅカは人々を魅惑の世界にいざない続けているのだろう。


 さて、安蘭けいさんである。「湖国と文化」の誌面によると、安蘭さんはいまも大好きな父のことを「アボジ」と呼んでいる。そう、安蘭さんは滋賀県湖南市生まれの在日韓国人三世なのだ。安蘭さんは、そのアボジに小さいときから、韓民族の歴史と誇りを教え込まれて育ったという。もちろん父も娘も差別に晒されたことがなかったとは言えない。だが、安蘭さんは中学生のときに観た宝塚の華麗な舞台に自分の夢を託す。片道三時間もかかるレッスンをこなし、その頑張りで宝塚音楽学校に合格、歌劇団に首席入団。でも、そこからの道のりは平坦ではなかった。おまけに首席入団者は男役トップにはなれないというジンクスまであった。だが、入団16年目にして男役トップに。首席入団者の男役トップは、1972年の汀夏子さん以来。さらに外国籍男役トップスターは79年に退団した中国籍の鳳蘭さん以来であった。

 何より私の心を捉えたのは、その安蘭けいという芸名の由来である。かつては万葉集などの和歌から、そしていまは著名な方に名付けの親になってもらうヅカガールも多いなか、家族で決めたという安蘭さんの名には民族の誇りが香り高く漂っている。

 「安蘭(アリラン)伝説の主人公のアランの本名の安、好きな花の蘭。そして故郷の慶尚南道の慶を『けい』とひらがなにしたんです」

 在日三世にしてこれほどまでに、民族の誇りを胸に秘めている方に、私もそうそうお目にかかったことはない。そこにはアボジの思いが色濃く出ているように思う。

 「トップになること、それはあの娘の夢であり、私の夢でもあるんです。大袈裟に言うと、瞳子は我が韓民族の夢と誇りを背負っているんです」と父は言う。

 もうひとつ、忘れてはならないことがある。安蘭さんは祖国、韓国を誇りに思い、愛してやまないのと同じようにふるさと滋賀を誇りに思って愛し続け、また滋賀の人々もそんな安蘭さんを誇りに思って声援を贈り続けたことだ。そう言えば、わが事務所の熱烈宝塚ファンのルーツもまた滋賀県だ。中井編集長が転送してくれた前号の感想のおたよりの中にこんな言葉を見つけた。
 宝塚時代の安蘭さんは出自のことで家族まで巻き込んだ心ない中傷がネット上で大暴れして、ファンとして不愉快な思いをしてきました。でも、記事を読んで祖国に誇りに思う安蘭さんをファンとしても、誇りに思いました。東京公演の千秋楽のショーにも宝塚の正装、緑の袴の「ひこにゃん」(編集部注・マスコット人形の髪飾り)が登場して、これは下級生の手作りだったそうですが、安蘭さんが滋賀を祖国と同じように大事にしていることを星組生のみなさんが熟知していたからこそだ、とうれしく思ったものです
 そうか、宝塚の正装をまとった「ひこにゃん」が東京宝塚劇場の舞台に、見たかったなあ。


 ファンを愛し、家族を愛し、祖国を愛し、ふるさとを愛した安蘭さん。そしてファンに愛され、家族に愛され、祖国の人々に愛され、ふるさと滋賀のみなさんに愛された安蘭さん。退団後、女優としての初の舞台も近いと聞いた。ぜひ、劇場に足を運んでみたい。

 何回か前のこのエッセイに私は「文化とはなにか」ということについて、司馬遼太郎さんの言葉を引用、「それに包まれていると、暖かく感じるもの」と書いた。多くの愛で包み込んだ安蘭さん。多くの愛に包み込まれた安蘭さん。その安蘭さんの特集が載った「湖国と文化」に、故国の、湖国の文化を見た思いがするのだった。

(湖国と文化 2009年秋号第129号より)






湖国と文化(滋賀県文化振興事業団)
 http://www.shiga-bunshin.or.jp/print/kokoku/
安蘭けい公式ファンクラブAran
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