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生きとし生ける
小さな心が開くとき

大谷 昭宏


卓球 講演であちこちの町や村にお邪魔するが、一つの村に16回連続で出かけたのは、この村だけである。群馬県粕川村、いまは町村合併で県庁所在地の前橋市に組み込まれてしまったが、私にとってはいまも粕川村のままだ。

 毎年11月か12月初旬のこの粕川の講演がすむと、ああ、今年もあと残すところ一ヶ月か、と私の中のちょっと変わった風物詩になっているのである。もう一つ、私の中に別の風物詩が、この粕川の講演にはある。

 粕川村で小学校の先生をしていて、亡くなった黒田清さんが元気だったころから、私の事務所に講演を依頼してこられていた桃井里美先生とお会いして、講演会場までの行き帰り、いまの子どもたちや学校現場のこと、親御さんたちや、先生の様子、そんなことをあれこれ聞かせていただく、それが秋が深まるころの私の欠かせない年中行事になっている。

 桃井先生は、四十代半ばぐらいか。澄んだ声、一点を見つめて子どもたちのことを語っているときは、少女のように透き通ったものを感じる。いつだったか雑誌の連載で桃井先生のことを取り上げたとき、私が「天使のような先生」と書いて、さすがに同僚の先生方から「それは書きすぎというもの」なんて冗談半分にご意見を頂戴したが、毎年、桃井先生の、今年の子どもたち、今年の学校イベントについてのおしゃべりを聞くたびに、決してこれは書きすぎではなかったという思いを新たにするのだ。

 桃井先生はいま粕川から離れて、県内の伊勢崎北小学校で特別支援学級「ぐみの木」の担任をしている。特別支援学級というのは、自閉症や多動、情緒不安定、発達障害など、学校生活を送る上でなんらかの支援が必要な子どもたちが集まった学級だ。今年の桃井先生のお話の主人公は、この「ぐみの木」学級に通う六年生のSくんだった。


「Sくんがね、全校卓球大会を企画して大成功させたの」。桃井先生は今年の“桃井レポート”のテーマはこれだ、とばかりに話し始めた。

 Sくんは自閉症傾向、Sくんをはじめ、この学級の子どもたちは人とのコミュニケーションがうまくとれない。Sくんの一番の望みは友だちと遊ぶことなのだが、上手に人と交われない。お母さんの話では、放課後、誰も一緒に遊んでくれる子がいなくて、泣いて帰ったこともあったという。教室でも、得意のパソコンに向かって一人ぼっちでいることが多かった。Sくんに限らずこの学級の子どもは「〜をする」ではなく「〜をしてもらう」という傾向が強いのが特徴でもある。

 そんなSくんが去年11月のはじめ、桃井先生に「先生、いいことを思いついたんだけど」と言って、パソコンの画面を見せた。そこには「卓球大会をやります」と書かれていた。Sくんは、その少し前、新しく「ぐみの木」に入ってきた一年生が卓球に興味を持っていることを知って、桃井先生とともにこのクラスの子どもたちと交わっている介助の先生と一緒にこの子に卓球を教えていたのだ。

 Sくんが桃井先生に自分から何かをやりたいと言ったのは、もちろんこれが初めて。桃井先生はこの大会が成功したら、きっとこの子の大きな自信になるはずだ、と心がときめいた。「じゃ、みんなに大会を知らせるチラシをつくらなくっちゃ」。後日、桃井先生が私に送ってくれた大会記録に同封されたSくん作成のチラシには「おしらせ 卓球大会をやります たのしいからきてね (にちじ)11月14日 (ばしょ)ぐみの木」などと書かれていた。


 放課後、このチラシを学校のあちこちに張って歩いたSくんは、行き交う先生方に「先生も参加できますよ」と声をかけていた。Sくんの方から先生に話しかけるのもこれが初めてだった。得意のパソコンにスピーカーをつないで、校内放送も自分でやった。

 桃井先生はそんなSくんの様子を見て「じゃ、せっかくだから、この大会のためにSくんがやったことを記録に残しておく活動報告も書いておこう」と言って、原稿用紙も渡した。そしていよいよ受け付け開始。Sくんはさながらイベントスタッフ。そんなSくんの働きぶりを見た「ぐみの木」の子どもたちがなんと大きな声で、呼び込みをしている。Sくんは大会に参加してくれる先生方のために「練習招待券」まで作っていた。活動報告にはこうある。

「校長先生も出るそうです。20分休みに18人がきてくれました。Hさんが手伝ってくれました。昼休みには26人がきてくれてすごく驚いた。三年生が一番多かったです」

 そして三日間の受け付け最終日、ついに参加者は百人を突破した。Sくんはよほどうれしかったのか、この百人の子どもと、記念撮影がしたいと桃井先生に身振り手振りで頼んできた。Sくんが知らない子どもと握手するのもこれが初めてのことだ。大会記録には、そのときの写真も入っていた。ちょっとはにかみながら両手を握りあっているSくん。このころのSくんの様子についてお母さんは桃井先生にこんなふうに伝えている。

「まず、登校時間が早くなり、いつもは自分から学校のことは話さないのに『どうしたら人が集まるだろうか。参加者を増やしたい』と相談してくるようになりました。いままで授業参観でも、背中を丸め、みんなの中に隠れるようにしていたこの子があんなに人を集める力があったのか、と驚いています」

 だけど大会は決してスムーズにいったわけではなかった。実はいったんは中止になっているのだ。


 百人を超える申し込みがあって、ついに11月14日、「ぐみの木」主催の校内卓球大会はスタートした。だが、その初日、準備をしているときに一年生が邪魔をしたことからSくんはパニックになり、「大会は中止」と言ったまま、いつものパソコンの前に座って動こうとしない。

 桃井先生は無理をしなかった。じっと様子を見ていると、Sくんはそっと活動報告の原稿用紙を差し出してきた。「まだこの続きを書きたい」というサインだった。これには桃井先生もお母さんも驚いた。実は自閉症傾向の子どもはいったん拒否反応を示すと自分からリセットするのが苦手なのだ。普通の子どもにくらべて短い間に気を取り直すということがなかなかできない。

 このときのことをお母さんは「以前なら、混乱を起こした原因には触れたくもない。見たくもないという態度をとっていたのに、よほど卓球大会がやりたかったのでしょう」と桃井先生に伝えている。

 そして12日遅れの11月26日に迎えた大会初日、Sくんが初めて自分で企画して、自分で呼びかけ、運営もする全校大会。Sくんは緊張して口数も少なかったという。だけど三日目、四日目と進むにつれてSくんはリラックスしてきた。試合のない六年生が会場にやってきて、大会主催者のSくんを囲んで笑いあっていたという。

 今回は参加しなかった子どもたちから「今度は出たいから三学期もやって」とリクエストされて気をよくしたSくんは、いま「第二弾をやって人気があったらクラブにしようか」と桃井先生に提案しているという。

 桃井先生の報告は「参加者の少ない学年を見ると、やはりぐみの木に行っている子がいない学年でした。あらためて子どもたちの交流の大切さを思いました」と結ばれていた。

 先生という仕事は本当にすばらしい、とあらためて思う。「天使のような先生」というのではなく、子どもたちとのふれあいようによって、だれもが天使のようになれる仕事なのかもしれない。

 素敵な六年生を終えたSくんは、この春には中学生。そう、今年、17回目の講演のときでなくてもいい。いつの日か私も、Sくんと、お母さんと握手できるときがきたらいいなあ、と思ったりしている。
 
(月刊PL 2008年4月号より)


粕川村 (群馬県) (Wikipedia)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/粕川村_%28群馬県%29
特別支援教育に関すること(文部科学省)
 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/main.htm

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