阪神淡路の1文字漢字は「伝」
− 来年は平成元号最後の1・17 −
今週末、大阪で久しぶりに開く小さな食事会を楽しみにしている。神戸市灘区の瀬川寿男さん、春代さんご夫妻。テレビディレクターの寺田和弘さん、カメラマンの樋口兼和さん、それに私たち夫婦だ。
阪神・淡路大震災で灘区の家が全壊、ご主人を失ってたった1人になった当時70歳の武田百合子さんに寄り添ってくれたのが、瀬川さん夫婦だった。わが家では、そんな武田さんを毎年、大みそかに訪ねるのが恒例。寺田さん、樋口さんは震災が結んだそんな縁を取材し続けてくれた。武田さんは東日本大震災の年まで生き抜かれたのだが、その夏、瀬川さん夫婦にみとられて亡くなった。享年87。
だけど、その後も私たちは1・17、震災の日前後に集まっては、あのときの神戸、そしていまの神戸を語りあってきたのだが、おととし瀬川さんの奥様が心臓を手術。今回はちょっと間を置いた集まりになる。
東日本大震災の被災地にも私と一緒に足を運んだ瀬川さん夫婦がいつも口にする不安は、あまりにも見事な神戸の復興ぶりだ。
薄い雪化粧の六甲山と光る海に挟まれた神戸の町からは、あの日、がれきの下から聞こえてきた声も空を覆う火災の粉じんも、いまは想像さえできない。一方で、ビルの壁に津波の高さが刻まれ、山裾には広大な高台移転地を造成、海と陸は防潮堤がさえぎる。いやが応でも災害を忘れさせない東日本の被災地と神戸はまったく違う。
そんな神戸も人々の生活に目を移せば、武田さんたちが震災後に移り住んだ復興住宅は高齢者が5割を超えた。一方で神戸市民の2割は震災を知らない世代。阪神間被災15市の職員の半数以上が震災後の入庁という。
これほどの降りは初めてという冷たい雨の中、発生から23年となった1月17日。ろうそくに火が付きにくかった竹灯籠に記された1文字漢字は「伝」。市民からの公募で決められたこの文字に、瀬川さんたち阪神淡路の人々の思いがこもっているように感じる。
伝えるべきは、建物の免震か、急速に進む高齢化か。仮設や復興住宅の孤立、孤独死対策か、はたまたボランティアのネットワーク作りか…。これからは、さまざまに、より細分化されていくように思う。
来年は平成の元号で伝える、最後の1・17となる。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2018年1月23日掲載)
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