古刹で感じた大戦後昭和からの平和
− 今年平成30年 来年は新元号 −
新しい年の最初のコラム。本年もどうぞよろしく。さて私ごとながらお正月は、いつも通り京都の初春。元日は滋賀・湖東三山の山寺へ。2日3日は京都市内から去年、そのひなびたたたずまいに魅了された南山城のかくれ古寺に足を伸ばした。
奈良・滋賀県境に近い山里にある禅定寺、寿宝寺、神童寺。どこも有名寺院のように拝観受付があるわけでもなく、庫裏にいるご住職を呼びに行ったり、前日にお寺の都合をうかがったうえでの拝観。だけど、どのお寺も本堂の畳の上で寺の縁起を説明してくれたり、収納庫の重い扉を開けて国宝や重要文化財の十一面観音立像や月光、日光菩薩に手を合わさせてくれた。
そこには慶雲元年(704)、養老6年(722)、正暦2年(991)といった1000年を超える寺歴、まさに悠久のときが流れている。住職の説明を聞きながら、ふと気づくと、このお正月は日ごろは番組などで、ほとんど西暦表記を使っているのに、なぜか元号が心地よく聞こえてくるのだった。
やはり2018年というよりも、今年は平成30年。来年は新天皇が即位される5月1日から新元号になるので、1年通じての平成の御世は今年が最後なのだ。
そういえば、訪ねた禅定寺には昭和55年、琵琶湖から木津川、淀川と流れる水の道の研究で寺を訪問された皇太子殿下の写真が飾られ、訪問記念の松が大きく枝を張っていた。殿下は当時20歳。失礼ながら、ブレザー姿で前髪をハラリと垂らされた姿が初々しい。殿下の指導教授と並んで写る若き日のご住職も「皇太子さまが新天皇になられて、平成の時代も終わっていくのですな」と感慨深げだ。
慶運や養老の時代から昭和そして平成。まさに千年にわたって御仏を守り続けてきた山里の古寺。住職や住職の奥様が口にされるのは、いずれも「戦火」だ。
戦国武将の兵火に見舞われたことはあっても、応仁の乱、信長の焼き打ち。そして何よりも第2次世界大戦の戦火が、ひなびた山里には及ばなかった。この地の平和こそが仏さまをお守りしてきたと口をそろえる。
阪神・淡路に東日本大震災、さらには御嶽山の火山噴火…。だが大戦後の昭和から平成へと貫かれた平和。かくれ古寺の里は、その平和の重さを抱きしめているようにも思えるのだった。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2018年1月9日掲載)
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