銃を手放さず、核を持ち続け、核禁止条約に署名せぬ国で
− ICANノーベル平和賞の喜び −
「これほどの事件が起きても、アメリカ社会が、なお銃を手放さないことと、核を持ち続けることの根っこは一緒だ」とテレビやラジオでコメントしている、まさにそのときにうれしい知らせが飛び込んできた。
2017年、ノーベル平和賞は日本ともかかわりが深い「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)に贈られることになった。
このニュースの前、私は死者58人という米国史上最悪の事態となったラスベガスの銃乱射事件について「アメリカ社会が病理ともいえる発想から抜け出さない限り、この国の銃をめぐる悲劇はなくならない」とコメントし、必ず「この病理は、核兵器保有の論理にもつながる」とつけ加えてきた。
アメリカの銃をめぐる事件というと1992年、ルイジアナ州に留学中の高校生、服部剛丈君(当時16)がちょうど今頃の季節、ハロウィーンパーティーに向かう途中、不審者と間違われて射殺された事件を思い出す。名古屋のご両親を訪ね、お母さんの美恵子さんとは一緒にシンポジウムに参加させてもらった。
あれから25年。だが、大学で33人、ナイトクラブで50人…、アメリカの銃をめぐる悲劇はあとを絶たない。それにもかかわらず人々の口をついて出るのは「善良な民(主に白人)が銃を手放せば、きっとならず者(主にその他の人種)が銃で襲いかかってくる」。この発想からどうしても抜け出すことができないのだ。
改めて説明はいらないだろう。国際社会がひとつになって北朝鮮に核を持つなと迫るのは当然のこととして、ならばアメリカをはじめ、かつての戦勝国が核の軍縮にさえ踏み込まないのはどういうことだ。手放せば、ならず者国家が必ず核で襲いかかってくる。抜け出すことのできないこうした発想が自国でも惨事を引き起こす。その呪縛にからまった悲しい国なのだ。
翻ってわが日本はどうだ。ICANの最も大きな功績とされ、前文に「ヒバクシャ」の文言も入った核兵器禁止条約。だが世界でただひとつの被爆国日本は、安倍政権の「米国の核の傘のもとにいる」を理由に条約に署名さえしていないのだ。
いよいよきょう公示される衆院選。核兵器禁止条約に対する政府の姿勢を正面から争点にして闘ってくれる政党はないのだろうか。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2017年10月10日掲載)
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