「よく分からなかった」で済む話じゃない
− 群馬、埼玉 O157食中毒問題 −
私のように事件取材が長かった者から見ると、これはどう考えても食中毒問題ではなく、食中毒事件ではないのか。
群馬、埼玉で総菜販売店「でりしゃす」のポテトサラダなどを食べた22人が0157による中毒を発症。このうち東京の3歳の女の子が今月初めに亡くなった。夏休み、帰省先の前橋での楽しい食事が一転、幼い命を奪ってしまった。だが肝心の感染経路の特定や原因究明となると、これが腹が立つほどピント外れなのだ。
女児が食べた炒めものを販売した「でりしゃす六供店」について前橋保健所は、この店が生ものも炒めものも同じトングを使っていたことが問題だとしているが、そもそも何に付着していようと店に菌があったことは確かだ。究明すべきはその菌が何に付いて、どこから入ってきたかではないのか。
食中毒の原因究明のキーワードは「同一性」といわれる。たとえば何種類もの弁当から中毒が出た場合、どの弁当にも使われていた食材を探り出す。大勢に症状が出たときは、ドライブインやフードコート、みんなが利用した施設を割り出していく。さらには時間帯。その時間に売った弁当に限って腐敗が進んでいたということもある。
もう、おわかりだと思う。これは警察、検察などの司法が事件や過失事故で犯人や関係者を割り出していく捜査手法とうり二つなのだ。
だとすると今回、その同一性は、決してお店をあげつらうわけではないが、「でりしゃす」にあるはずだ。中毒者が出たのは前橋の六価店をはじめ、同じ群馬の連取、埼玉の籠原、熊谷の系列4店舗。たまたまや偶然なんて何万分の1の確率で、まずあり得ない。
だが保健所は4店の従業員の検便の結果、保菌者がいなかったことなどを理由に営業を再開させていた。だけど、ここは視点を変えて、だとすると4店すべてに出入りするマネジャーのような人はいなかったのか。4店に同じ人が食材を搬入していなかったか。「同一性」の範囲を、もっともっと広げるべきではないのか。
行政に限界があるというなら、司法に業務上過失致死傷、食品衛生法違反事件で告訴、告発したらいい。青春まっただ中も、すてきな恋も知ることがなかった幼い命に「よく分からなかったよ」で、済む話ではない。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2017年9月19日掲載)
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