小池さんの追悼文取りやめが否定したもの
− 関東大震災の朝鮮人殺害 −
先週金曜日、9月1日は防災の日。ちょっと驚いたことに朝日、毎日、読売の3大紙がそろって朝刊のコラムや囲み記事で、小池東京都知事がこの日、東京・墨田区で開かれる関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文の送付を取りやめたことを厳しく批判していた。
関東大震災は、1923年(大12)、東京の下町を中心に10万人超える死者を出した大災害だったと同時に、歴史に残る汚点も抱えている。直後に「朝鮮人が暴動を起こそうとしている」「井戸に毒を投げ入れた」などの流言が飛び交い、人々は日本刀や木刀で武装した自警団を結成して朝鮮人を殺害。犠牲者は6000人に上るといわれている。
その数をめぐっては異論もあるが、石原、猪瀬、舛添さんの時代から都知事は毎回、追悼文を送ってきた。だが、小池さんは殺害の事実を否定することになるのでは、という質問には「さまざまな歴史認識がある」とかわしている。だけど私は、追悼文には犠牲者を悼むとともに、もうひとつ別の思いも込められている。そのどちらも否定しているように思えてならないのだ。
私のように警察担当が長かった記者なら、一度や二度は古参の刑事から大震災当時の神奈川県警鶴見分署の大川常吉署長の話を聞かされているのではないだろうか。
多摩川を越えてきたデマ。殺気立った自警団に追われた朝鮮人約300人が命乞いをしながら警察署に逃げ込んできた。署員わずか30人。いまにもなだれ込んできそうな群衆を前に仁王立ちになった大川署長は1升ビンをかざし、「井戸に毒を入れたというなら、ここにその水を入れて来いっ」。やがて群衆がくんできた水を署長は、ノドを鳴らして飲んでみせたのだった─。
この事実にも近年、異論を唱える人がいる。だが、大震災から半年もたたないころ、助けられた朝鮮人が署長に贈ったハングル入りの感謝状がその事実を雄弁に物語っているのではないか。
東日本大震災の際の「外国人が集団で女性を襲っている」。熊本地震の「動物園からライオンが逃げ出した」。警察が1升ビンではなく、間髪を入れずネットでデマを否定してくれた。
だけど小池さん、災害時、私たちの社会の奥底に潜むどす黒い闇。これまでの追悼文はそのことにも気づかせてくれていたのではないでしょうか。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2017年9月5日掲載)
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