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沖縄 フラッシュアップ


どうしても首里城を復元したかった理由
− 6・23沖縄「慰霊の日」 −

 6月23日の「慰霊の日」を前に沖縄を訪ねた。梅雨明け直前の豪雨のなか、辺野古の基地前では、今年の慰霊式典で高校生の上原愛音さんが「誓い─私達のおばあに寄せて」と詩を朗読した、まさにその沖縄のおばあたち、基地反対の人々がぬれねずみになって警官にごぼう抜きにされていた。
日刊スポーツの実際の記事画像
 これまで何十回と訪ねた沖縄。だが取材の大半は、かつての沖縄戦であり、在日米軍の問題だった。けれど今年は趣を変えて、首里城をカメラクルーとともにまわった。沖縄は今年が本土復帰45年。その復帰後、県民が悲願にしてきた首里城の復元が来年中には、ほぼ完了すると聞いたのだ。

 1429年から450年間、琉球王朝の王宮だった首里城。だが敗色が濃くなった日本軍は、この城の地下に兵士1000人が入る壕を堀り、陸軍32軍司令部とした。当然、すさまじい米軍の砲火を浴び、多くの国宝も城の設計図もすべてが灰じんとなってしまった。

 ご一緒してくださった琉球大学名誉教授の高良倉吉さんによると、東京に設計図の一部があると聞けば走り、沖縄漆を再現できる職人がいると知れば懇願して復元に加わってもらった。

 これまで守礼門と歓会門くらいしか見学したことがなかったが、高良さんとまわった正殿、書院、黄金御殿…、その絢爛と雅は、これまで経験したことのない、もうひとつの沖縄だった。守礼門をはじめ国宝のすべてが灰になったが、なんと首里城全体が2000年、世界遺産に登録されたのだ。

 高良さんは、首里城には、数多くある王宮と大きく異なることがあるという。王朝による統治の場であることはもちろんだが、明の国をはじめとするアジア諸国との交易。それによってさまざまな文化が入り交じり、舞踊など沖縄独特の芸術が生まれた。それと、もうひとつ。沖縄は島全体が神の島と呼ばれるほど信仰にあつい。首里城は女性の神をはじめ、神々が舞い降りる聖なる祈りの場でもあったという。

 「沖縄の人たちが基地を憎み、一方でどうしても首里城を復元したかった。その気持ちがおわかりいただけましたか」

 ただ単に、基地は危険だからではない。武力は、戦争は、文化や芸術、そして信仰の対極にあるからだ─。

 もうひとつの沖縄を知った72回目の慰霊の日である。

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2017年6月27日掲載)



首里城公園 ‐ 琉球王国の栄華を物語る 世界遺産 首里城
 http://oki-park.jp/shurijo/
慰霊の日(Wikipedia)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/慰霊の日
琉球王国とは | ‐ 琉球王国の栄華を物語る 世界遺産 首里城
 http://oki-park.jp/shurijo/about/186


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