何千何万の先生と教え子たち
− 戦後教育行政が育んだもの −
いくら署名入りのこのコラムとはいえ、ちょっと私的なことに過ぎるかな、と思いつつ、いまどうしても書いておきたくなった。少し前の週末、山梨県忍野村に小さな旅をしてきた。
富士の裾野というより、雄大な富士が迫ってくるリゾート施設。内藤美智子先生と教え子の男性3人、女性2人。内藤先生は今年90歳。そして私たちは、教え子といっても72歳。60年以上前、目黒区立緑が丘小学校で先生27歳、私たち9歳。3年から6年まで4年間、受け持っていただいた。
折にふれて先生を囲んで集まっていたが、88歳の米寿の祝いに元気な姿をみせてくださったとき、卒寿の祝いは先生をお連れして、ささやでいいから、ぜひ旅をしようということになったのだ。
悪童どもが湯船で泳いで叱られた日光の修学旅行以来の大浴場。女性たちが9本のローソクを立てて用意してくれたバースデーケーキを6つの笑顔が囲んだ。
いまになってわかってきたクラスメートの消息。行儀が悪くて、いつも先生に立たされていた私が、ある日そのまま行方不明になって、青くなった先生とクラス仲間が捜し回った小さな事件。初めて聞く話、何度繰り返しても、またみんなで同じように笑い転げる話。
教え子のひいき目ではなく、肌はつやつや、美しくてなによりおシャレ。これまで年齢を言い当てた人はまずいないという先生のご自慢は、担任していた50人近くの子どもたちの姓と名を、いまでもひとり残らずソラで言えることだという。
日付がとうに変わっても、次から次へと話題はつきない。そんな話が、ふと途切れた折に先生が「ずっとみんなの担任だったような気がするの。こんな幸せな教師はいないと思うよ」と言えば、だれかが「私も、卒業してからもずっと先生に担任をしていただいていた気がします」。
しばしの沈黙。それぞれの胸にそれぞれの思いが去来していたように思う―。
いま、文科省への風当たりが強い。それどころか、政権から目の敵にされているといっていい。もとより小さな私ごとですべて語ろうとは思ってもいない。ただ、戦後70年になんなんとする教育行政が何千何万と、私たちのような先生と教え子を育んできた。そのことへの誇りは何があろうと失わないでほしい。心からそう願っている。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2017年6月20日掲載)
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