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雪山 フラッシュアップ


死者と傷者を分けたものは何だったのか
− 栃木県那須町の雪崩事故 −

 先週半ばのテレビ局のメーク室。部屋のテレビは、死者8人、重軽傷者40人を出した栃木県那須町の雪崩事故で大田原高校に通う息子さんを亡くされたお父さんを映し出していた。「私が愛用していたパーカに包まれて眠っているようでした」。その言葉を聞いて思わず、「取材する側にとってはありがたいけど、つらい時によく話してくださったなあ」とつぶやくと、少し離れた鏡の前にいた女性アナウンサーが珍しく「私もたったいま、おなじことをメークさんとお話ししていたんです」と話しかけてきた。
日刊スポーツの実際の記事画像
 普段は口数の少ない女性。そういえば長らく一緒に仕事をしてきたが、この春でいったんお別れ。新しい命を授かって、彼女はしばらくカメラの前を離れるのだ。私にはその命が、母になる彼女にそう語らせているように思えてならなかった。

 こうした事故、事件を報道するときに、打ち合わせでめったにないことだが(と、勝手に自分は思っている)、取材記者に声を荒らげることがある。死傷者○○人、このたびの事故でいえば、死者と傷者を合計して死傷者48人と口にしたときだ。死者と傷者、家族や友人にとって、それは天国と地獄以上の違いがある。死者13人、重軽傷者6300人を出した地下鉄サリン事件で、死傷者6313人と表記する無神経なニュースはさすがにないはずだ。

 あのパーカの息子さんの父をはじめ、亡くなった8人の死者の遺族や友人は、どんな形でもいい、せめて重軽傷者40人の中に入っていてほしいと、どれほど願ったことか。昨年、死者19人、重軽傷者26人を出した知的障害者施設やまゆり園の大惨事のあと、自閉症の息子さんを持つ知人が書いた言葉がよみがえる。

 <愛する人が突然の不幸に遭った時に「もう生きている必要はないよ」と言うでしょうか。「何とか助かってほしい。障害が残っても生きていてほしい」と思わないでしょうか>

 大事な教え子を亡くされた先生方の心痛は察して余りある。だが、なぜ雪崩注意報下でラッセル訓練だったのか。何より、死者と傷者を分けたものはなんだったのか。辛いことだが、ぜひとも明らかにしてほしい。

 どこかで春が生まれてる 山の3月 そよ風吹いて…

 今年ほどやりきれない、山の3月はない。

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2017年4月4日掲載)



那須+雪崩(Google ニュース検索)
 https://www.google.co.jp/search?q=那須+雪崩&newwindow=1
雪崩(Wikipedia)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/雪崩
なぜ、『死傷者』 と言うのですか(教えて!goo)
 https://oshiete.goo.ne.jp/qa/2208378.html


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