簡単には帰還できない
− 3月末の大号令かけられても −
言いようのない違和感を抱く会場だった。先月半ばの福島県川俣町山木屋地区公民館。舞台を背に原子力災害現地対策本部副部長、川俣町副町長、東京からは環境省、経産省、復興庁の官僚がズラリと28人。日曜の朝、そのお役人と向き合うため、帰還準備宿泊の自宅からやって来た住民は役人の半分にもならない、わずか12人だった。
東日本大震災から、先週の土曜、11日で6年。国は「平成29年3月末」の大号令をかけて県内の川俣、浪江、富岡の3町と飯舘村の避難指示を解除することにした。私たちが東海テレビの取材で、ずっと追ってきた川俣町の山間部、山木屋地区も解除対象区域。この日、住民説明会が開かれた。
帰還に向けて国は、復興予算から5億円かけて商業施設を建設。屋根付きプールのある小中一貫校も来年、開校する。だが、地区住民1133人のうち帰還希望者はわずか146人、12.9%。とはいえ、これでもいい方で、県内避難解除対象者の帰還・帰還予定は7.9%にとどまっている。
この日の説明会に原発災害以来、1日も早く元の生活を、と奔走してきた区長の広野太さん(67)の姿はなかった。広間が子ども神楽の練習場になっていた母屋は取り壊し、福島市に転居していった長男一家は仕事と孫の学校のこともあって戻る予定はない。いま広野さん自身、「山奥でおやじたちになんかあったとき、どうするんだ」という長男の言葉に気持ちが揺れ動いている。
事実、この日の説明会に参加した12人は全員が65歳以上。地区に帰還を予定している人も9割以上が年金暮らしの高齢者だ。田植えに稲刈り、里山や用水路の手入れ、住民総出の作業はもうできない。それに急病人や火災。助けを求める人はいても、助けに行ける人はいない。だが、生活の糧はなく、東電から月に10万円支給される慰謝料も来年3月で打ち切りとなるなか、戻ってくる若い世帯はない。
なのに国は「除染はすんだ。施設は要望通り造った。なぜ、住民を戻さないのか」と県や市町村を責め立てる。
「建物や道路は造り直せば元通りになる。だけど、壊れてしまった生活は、簡単には元に戻せないのです」。
除染ゴミの詰まった黒いフレコンバッグが積まれた雪の畑に、広野さんの吐息が吸い込まれていった。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2017年3月14日掲載)
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