被災地に寄り添う取材者たち
− 阪神・淡路大震災から22年 −
きょう1月17日は、あの阪神・淡路大震災から22年。現地に入らない年、私は地震が起きた午前5時46分、西の空に手を合わさせてもらっている。ただ今年は、いつもの年より少しばかり寂しさが増す。毎年、この日を前に神戸の瀬川寿男、春代さん夫妻を囲んで亡き武田のおばあちゃん、武田百合子さんをしのぶ集まりがあるのだが、今回はそれが延期になってしまった。
武田さんは震災で家が全壊してご主人が即死、自身も重傷を負った。その後、行く当てもないまま、神戸の冬を2回、六甲道商店街の側溝の上に建てた小屋で愛犬とともに過ごしたのだった。やっと仮設住宅から復興住宅へ。そんな武田さんを支えたのが瀬川さん夫婦だった。その間、私たちはテレビ朝日の番組で武田さんと「お互いさま」が口癖の瀬川さん夫婦を追って、ずっとカメラを回した。
だが武田さんは東日本大震災の前日の2011年3月10日未明、呼吸困難に陥って救急車で運ばれ、半年間の闘病の後、その年の夏に89歳で旅立ってしまった。その最期もみとられた瀬川さん夫婦に、わが家夫婦、1人で16年間、武田さんを追ったHカメラマン、番組ディレクターのT君。ささやかだけど心に残った葬儀。だけど、なんとなくこれを最後にしたくない。みんなの思いで、その年の暮れから始まったおばあちゃんをしのぶ集い。だが、瀬川さん夫婦も70代半ばのお年。今年は急きょ、中止になってしまった。
ディレクターのT君と2年前、東日本大震災の被災地に足を運んだ瀬川さん夫婦を取材したMディレクター。2人から相次いで、春代さんが心臓手術のため入院したという知らせが入ったのだ。半日以上かかる大手術。だが、年末見舞ったM君からは「痛い、痛いと言いながら、お口の方は十分に元気でした」。年明け、お宅を訪ねたM君は「しのぶ会、暖かくなったらリベンジしましょうと張り切っていました」と知らせてくれた。
もちろん大災害はあってほしくない。だけど、そんな災害のたびに私が若いディレクターたちに言い続けている言葉。「その場限りではなく、被災地に遠い親戚ができたと思ってほしい」。
それをささやかでも実行してくれるテレビマンがいることがうれしい。まだまだ寒い中、桜が咲くころのしのぶ会を楽しみにしている。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2017年1月17日掲載)
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