「日本政府の動きに戦争のにおいを感じて不安です」
− 中国「残留孤児」の思い −
冷え込み始めた先週日曜の神戸市長田区。だけど230人の人で埋まった地域支援センターの講堂は、熱気に包まれていた。「中国『残留孤児』国家賠償請求訴訟神戸地裁勝訴判決10周年記念集会」。私もお祝いにかけつけさせてもらった。
敗戦時、旧満州(中国東北部)に置き去りにされた中国残留孤児邦人。1981年から始まった身元捜しで続々帰国したが、言葉の壁もあって就職はままならず、多くは生活保護に頼る生活。怒りと失意の中、「国策で満蒙開拓に駆り出されたあげく国に見捨てられ、帰国後も人間らしい扱いを受けていない」として全国15地裁で、国に賠償請求訴訟を起こしたのだ。
だが、「戦争の災禍は何も残留孤児に限ったことではない」と、切って捨てた東京地裁を始め、敗訴に次ぐ敗訴。そうした中、2006年12月、神戸地裁だけが「一般の邦人を無防備な状態に置いた戦時の政策は無慈悲というほかはなく、戦後、国には憲法の理念により、孤児救済の義務があった」として唯一、孤児勝訴の判決。これをきっかけに国は十分とは言えないまでも、孤児救済に乗り出したのだった。神戸が国を動かしたのだ。
判決から10年、しわがいっそう深くなった神戸の孤児たち。だが、どの顏もどこか誇らしげだ。弁護団などのあいさつに続いて、男女3人ずつによる朗読劇。昨年秋、厚労省主催の「中国残留邦人等への理解を深める集い」でパネリストになってくれた大中はつゑさん(79)の姿も見える。
普段の生活や思い出の写真をバックにみんなで練りに練ったせりふが、ちょっと苦手な日本語で飛び出してくる。「ぼくの妻はデイサービスに行っている。中国語の話せる職員にいてほしい」。やがてフィナーレが近づくと、思い思いの言葉がせきを切る。
「いま、日本政府の動きに、戦争のにおいを感じてとても不安です。私たち残留孤児こそが平和を守っていきたい」。
そしてみんなで声を合わせて「戦争をするな。2度と残留孤児をつくるな!」。涙を流して立ち上がっている人がいる。会場は割れるような拍手で包まれた。
だが、孤児たちが不安に思ういまの政府が急いでいるのは、年金カットとカジノ解禁だ。私たちの国は一体、どこに向かっているのだろうか。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2016年12月13日掲載)
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