一兵士の「魂鎮への道」
− 「ボケッ、土人」機動隊発言問題 −
飯田進さん、享年93。平成20年、すなわち昭和が終わって20年、節目の2008年1月7日、NHKがハイビジョンで放送した「昭和が終わった日」の取材で、横浜のお宅でインタビューさせていただいた。
8年前のそのとき、すでに84歳。語り尽くせない壮絶な人生。それは不条理、理不尽と闘い続けた一生でもあった。飯田さんは旧日本軍の一般兵士が罪に問われたBC級戦犯。敗走に次ぐ敗走だったニューギニアで行政官だった飯田さんは、言葉ができたので軍に徴用されたが、そのときすでに食料は底を尽き、ゲリラの襲撃におびえる日々。ある日、部隊はゲリラの1人を捕らえて捕虜にした。だが、捕虜に与える食料はなく、やむなく一緒にいた女性と子どもに食料を運ばせた。
もちろん飯田さんの通訳で2人はゲリラではないことがわかっていたのに、上官は「陣地を知られてしまった」と、殺害を命令。飯田さんは捕虜の目の前で女性と子どもを銃剣で刺し殺した。
この罪に問われた飯田さんは巣鴨プリズンで服役。だれかが処刑された夜は、どこからとも聞こえてくるうなるような声で仲間を送る。
─海ゆかば 水づく屍(かばね)山ゆかば 草むす屍…そんな日々が、朝鮮戦争の勃発で釈放されるまで6年間続く。
2度とこの歌は口にするまいと静かにすごしていた社会。だが、ここでも飯田さんを過酷な運命が待っていた。授かった長男は手に障害のあるサリドマイド薬害児。大手製薬会社や国を相手取って薬害訴訟を起こすとともに飯田さんは児童と家族のための「青い鳥愛児園」を設立する。
さらに70歳をすぎてから国家と軍の愚かさを訴えて「魂鎮(たましずめ)への道」を出版した。「故郷(くに)では、ヘイタイサンアリガトウなんて賛美してくれても、ほとんどが栄養失調で青ぶくれになって死んでいく。それがこの国の軍と戦争だったのです」。
弔電をお送りするのと前後して先日、首相が国会で「心からの敬意を」と賛美してやまなかった組織のひとつ、警察機動隊員が沖縄の人々を「ボケッ、土人、シナ人」と罵倒したというニュースが飛び込んできた。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2016年10月25日掲載)
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