尊敬、敬服、畏敬…どんな言葉でも思い伝わらない
− むのたけじさん死去 −
そう遠くないときにいつかそのときが、とは思っていたものの、訃報を聞いて、やはり心の底を大きなものが抜け落ちていく思いだった。
むのたけじさんが8月21日、老衰のため亡くなられた。101歳だった。戦後70年の昨年8月、テレビ局の「いま会っておきたい人」という企画で、さいたま市の次男のお宅を訪ねてインタビューさせていただいた。正直、あのときお会いしておいてよかった。
むのさんは戦時中、朝日新聞記者などとして日本軍を従軍取材。1945年8月15日敗戦の日、「新聞が戦争に加担してきた責任は免れない」と朝日に辞表を提出。ふるさと秋田県横手市に帰って、週刊新聞、「たいまつ」を発刊。あの戦争と戦後日本への思いに筆を振るった。
私が大学を出て新聞記者になったそのとき、むのさんはすでに53歳。それから約50年、書き、語り、訴えるジャーナリズム活動を続けてこられたのだから、それがどれほどすごいことか。尊敬、敬服、畏敬、どんな言葉をもってしても私の思いは伝わらない。
駆け出しの支局記者から、社会部の事件記者、遊軍記者へ。担当は変わっても〈嵐が強ければ、強いほどたいまつは赤々と燃える〉といったむのさんの言葉が並んだ「詞集たいまつ」はいつも私の書棚にあった。
今夏と同様、猛暑だった去年の夏。車いすに乗っておられたが、ちょうど国会審議の最中だった安保法制のこと、特定秘密保護法、さらには朝日新聞について。ときには首を振り、手を回し、熱気を帯びた言葉は、とても100歳の方のものとは思えなかった。
「そう、あなたは週刊たいまつのあんな言葉を覚えてくれていたの」「ほお、そんなエピソードが心に残ったのね」。むのさんの前では戦後70年を生きてきた私も新人記者並みだ。無理無体を承知で、もっと生きてほしかったとうめくと、おのずと涙があふれてくる。
「戦争のない世界を」の添え書きとともに署名してくださった「100歳のジャーナリストからきみへ」の本。むのさんが書かれた33のメッセージ。とても全部をバトンタッチすることはできないが、せめてこれだけは胸に刻み続けたい。
─人間が始める戦争を 人間がやめさせることが できないわけがない─
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2016年8月30日掲載)
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