裁判員制度のチェックが甘くなってないか?
− 発足から7年振り返る時期かも −
北九州市の福岡地裁小倉支部。暴力団組員による殺人未遂事件の結審を終えて、近くのバス停まで来た裁判員に被告の知り合いの元組員が「裁判よろしく。あんたの顏は覚えたけんね」。
明らかに一般市民から選ばれた裁判員に対する威迫行為。裁判員4人が辞任してしまい、地裁は今後、新たに裁判員を選任するのか、裁判官だけで審理するのか、まだ決めていない。
裁判員制度が始まったのは7年前。私は東京、大阪両地裁で初めての裁判員裁判を傍聴。「市民参加のいい司法制度だけど、きめ細かいチェックが欠かせない」と言ってきた。そのチェックが甘くなってやしないか。
暴力団員の犯行で、裁判員に危険が及ぶ恐れのある事件は裁判官だけで審理できるとされているが、今回、地裁は組織としての犯行ではなかったとして裁判員裁判にした。だけど当たり前の話、裁判所を1歩出れば女性も男性もみんな普通の市民。元組員から「顏は覚えた」と言われてゾッとしないわけがない。
今回の件だけではない。裁判員制度は、ここにきて随分とほころびが目につく。たとえば裁判員としての呼び出しに応じない人は当初、1割程度だったが、昨年は4割近くになっている。無断欠席は罰金10万円以下の刑事罰があるが、これまで適用されたことはない。
もちろん無断欠席も、理由のない辞退もいけないことだが、当初平均3日半だった審理日数は、昨年は9日を超えている。連続殺人事件など100日を超えるケースも出ている。こうなると、サラリーマンや子どものいる主婦などは引き受けようもない。はっきり言って、リタイアしたお年寄りか、裁判に強い関心を持っている人しか引き受けようがない。それが果たして市民感覚の裁判と言えるか。
ただ、救いなのは、この7年の間に裁判員になった人の、じつに9割がその後の調査で「いい経験になった」「人生の大事な1ページになった」などと答えていることだ。これを見ると私は、ああ、この国は本当に善良で健全な市民に支えられているのだなあ、と思うのだ。
だけど、裁判所はそんな国民性に甘え、チェックをおろそかにしてはいないだろうか。制度発足から7年。振り返ってみる、いい機会なのかもしれない。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2016年6月14日掲載)
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