オバマさんが広島に立つ その姿だけでいい
− 被爆地でのスピーチに思う −
私のバッグに、いまも結局出番のなかったプレスカードが入っている。「ISE‐SHIMA SUMMIT 2016」の文字が入った黄色のIDカードにストラップ。サミット2日目、27日は東海テレビの「みんなのニュースOne」のレギュラー出演の日。地元局ということもあって当日は生中継も含めて、ほぼ全編サミット。早くからプレスカードも用意した。
ところが5月に入ってオバマ大統領の広島訪問が決まり、みんなの目はすっかり広島へ。そのうえ平和記念公園到着、献花と、スピーチは放送時間とぴったりかぶり、当日はほぼ全編キー局による広島からの生中継。アレ、残念、プレスカードどころか、私の出番までなくなってしまった。
だけど生中継で見ることができたオバマさんの被爆地訪問。心の底から、よかったと思っている。広島訪問が決まったときから、私は謝罪にこだわるべきではないと言い続けていた。
来てくれと言ったことはない。来いと言われた覚えはない。謝ってくれと言ったことはない。謝れと言われた覚えはない。ただ、オバマさんはあの日から71年、いま広島に立っている。その姿だけでいい。
予想をはるかに超えて17分に及んだスピーチ。それはある意味で哲学的とも思えた。中でも、
<科学によって病気の治療や宇宙の解明もできます。しかし、そうした発見が効率的に人を殺す機械になり得るのです ― 原子を分裂させた科学の革命は私たちに、道徳的な進歩も要求しています>
これは核兵器だけではない。原発を含めて、21世紀もまた核と向き合う、私たちすべてに求められていることではないだろうか。
かねて「主語がない」と一部の人から批判されてきた原爆慰霊碑の碑文。
<安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから>
私たち、私、世界、地球、人類…この日、多くの日本人が、いや、世界のさまざまな国々の人々が、自分なりの主語をそこに当てはめてみたとしたら、それは素晴らしいことではないか。
使われなかったプレスカード。決して物持ちのいい方ではないが、このカードはいつまでも手元に置いておきたい。多くの記者やカメラマンもまた、そうしているのではと思っている。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2016年5月31日掲載)
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