死を悼み悲しみ泣き憤る濡れた心がなくては
− 「GW交通事故」数字の裏に思いはせ −
2日ほど有給休暇を取れば10連休にもなった大型連休の最中。憲法記念日の先週火曜日、いつもの「ひるおび!」(TBS系月〜金曜日)に出演していると、「神戸JR三ノ宮駅近くで車が暴走、怪我人が出ている」の一報。ヘリ中継もまじえて放送した。その後、近くにいたタクシーの車載カメラで確認すると、暴走車はブレーキを踏んだ様子もなく、歩道上の人をはね上げ、5人に重軽傷を負わせていた。
「よくもこれほどの事故で死者がでなかったものだ」と思いつつ、私は2月25日、大阪・梅田の新阪急ホテル近くで死者3人を出した暴走車の事故を思い出した。運転していた男性は、気の毒なことに大動脈解離で事故当時すでに亡くなっていたとみられる。
その後の警察の捜査で、神戸の事故でも運転していた男(64)(逮捕)に交通事故の後遺症とみられる持病があり、昨年も二回、人身事故を起こしていたことがわかった。
連休中の交通事故はその後も相次ぎ、3日夜には山口県の山陽道で渋滞の列にトラックが突っ込み、母親と13歳の息子、9歳の娘が死亡、父は重体。3歳の次男が軽傷を負った。この事故で逮捕されたトラックの女性運転手(54)は「ぼーっとして運転していた」と供述しているという。
だけど私たちメディアは、連休が終われば「今年の大型連休中の交通事故」と、まとめの数字を並べて終わってしまう。だが果たしてそれでいいのだろうか。私が新聞記者時代、ある殺人について書いた本の「あとがき」に、亡き黒田清さんが寄せてくれた文章を久しぶりに読み返した。
<人の死の真近に立ち、何日何時何分ごろ、だれそれがどのように死んだということを乾いた文章で報道することは、たしかに新聞記者の仕事の一つなのだが、その死を世の中によくあること、またあったことと片づけてしまってはいけない。乾いた文章の裏側でその死を悼み、悲しみ、泣き、憤る濡れた心がなくてはならないのである>
あの山陽道の事故。重体の父に、もしものことがあったとき、ひとり残された3歳の坊やにどんな人生が待ち受けているのだろうか。連休の終わり、亡き恩師の一文が、あらためて身に沁みていくようだった。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2016年5月10日掲載)
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