震災の「先輩」神戸の知恵が生きる
− 復興支援へ熊本入り −
被災地に先輩後輩があるかどうかはともかく、緊急時の支援には先輩どころか、立ってる者は親でも使え、というのが私の持論だ。
神戸市環境局の職員20人が車10台を連ねて熊本県益城町に入った。自治体の環境担当者が作る都市清掃会議からの要請で町内にごみステーションを作って、がれきや壊れた家財を回収する。阪神淡路大震災の、あのときのノウハウをいかそうというわけだ。
阪神淡路大震災のあと、2004年の中越地震、5年前の東日本大震災、そして熊本地震。そういう意味で神戸は震災の先輩どころか大先輩。ノウハウは、ごみ問題だけではない。
被災から数日すると、神戸に全国から消防、警察、市町村の職員が数十人単位で応援に入ってくれた。だけど指揮系統はできていないし、そもそも被災地の地理がわからない。そのとき
神戸市は市の職員を現場から引きはがして水先案内人をさせた。20人30人のグループに職員1人がつき、渋滞を避けて、このグループはマンションの倒壊現場、こちらは避難所と割り振ったのだ。
一見、当の被災地の職員は働いていないように見えるが、神戸はひとり職員を出すだけで何十人分のマンパワーをもらったのだ。
まだある。「絶対に孤独死は出さない」が口癖で、“仮設のマザー・テレサ”と呼ばれた黒田裕子さん。その黒田さんにも、苦い経験があった。被災から数カ月で西神戸などに次々仮設住宅が建ち始めた。行政は避難所にいる人のうち、まず弱者。お年寄りや障害者、それに妊婦さんに優先的に入居してもらうことにした。
もちろん、やさしい施策にはだれも反対しない。だけどその仮設で孤独死が出てしまった。こんなコミュニティーでは、自力で夜中の見回りもできない。
黒田さんはおととし、がんのため亡くなられてしまったが、東日本大震災でまっ先に飛んで行った気仙沼の面瀬仮設。去年、私もお訪ねしたが、黒田さんの遺影が置かれた仮設の集会室では、お年寄りも若い男性も一緒になって見回りや声かけのシフトを確認。黒田さん亡きあとも、孤独死ゼロを続けていた。
人の力ではどうすることもできない震災。だけど人の知恵で、ほんの少し、何かができるような気がする。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2016年4月26日掲載)
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