意志を叩く薬物 新たな対策はないのか
− 清原容疑者逮捕 −
いくつもの逮捕現場を見聞きしてきた経験からすると、清原和博容疑者(48)は覚せい剤所持現行犯の逮捕を覚悟していて、これを踏ん切りにしたかったのではないか、という気がしてくる。
何度か薬を断ってみた。だが結局、抜け出すことはできなかった。ブログを始めて多くの人に近況を知らせることで薬を遠ざけようとしたが、それも駄目だった。そこで思い切って司直に身を預けて、なんとか薬物から逃れたかったのではないのか。そうでないと、捜査員が踏み込んだとき、覚せい剤や注射器がテーブルに無造作に置かれていたことの説明がつかない。
ただ、いわばこの捨て身ともいえる方策で彼は薬物地獄から抜け出すことができるのか。かつて薬物依存からの自立支援施設、「ダルク」や自らも牧師の身でありながら薬物依存に陥ったアメリカ人牧師を取材したときのことを思い出す。
日本の薬物対策は犯罪者として摘発し、刑務所か、あるいは病院に送り込むのが精いっぱい。全米には何万カ所もあるダルクのような依存症からの自立支援施設は、日本ではほんの数カ所。牧師は「だから薬物犯罪者の再犯率は5割以上。なんでこの堂々巡りを放っておくんですか」と、声を荒らげる。
今度の清原容疑者の件でもそうだが、聞こえてくるのは「あれだけの選手で、しかも薬物でマークされているのはわかっているのに、なんと意志の弱いことよ」という声。だが牧師は、そういうことをしてはいけない、という意志をたたくのが薬物。なのに、意志をたたかれた人を意志が弱いと責め立てているのが私たちの社会ではないか、と言う。
口癖の「ヨクキイテクダサイ」を連発しながら牧師が発した「あなたは自分の意志で熱を下げられますか。下痢を止められますか」という声が、耳の奥にまだ残っている。
もちろん清原容疑者をかばう気はない。弁護する気も毛頭ない。ただ、友というより人生の盟友であるはずの桑田真澄さんに、3年ほど前、「一切関わらないで」と連絡したのは、ひょっとすると踏ん切りをつける自分が間違っても彼に迷惑を及ぼしたくない。そんな気持ちがあったとしたら、あまりに悲しい。
堕ちていくヒーローのその先に、せめて新たな薬物対策の道はないものか。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2016年2月9日掲載)
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