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「心痛む」陛下のお言葉 棒のように貫けば
三が日は、いつも通りの京都。それにしても古都は大にぎわいというより、大混雑。外国人が人気に拍車をかけているのも確かだが、去年11月下旬から予約の波が押し寄せた。パリの同時多発に続いて米英でもテロが相次ぎ、正月の海外旅行をキャンセルした客が国内、特に京都に集中したという。やわらかな陽光とは裏腹に、ここにも不穏な国際社会が影を落としている。
華やいだ祇園、河原町を横に見て東山へ。東福寺から泉涌寺へと足を伸ばした。14代にわたる天皇の陵墓があるこの寺は皇室とのゆかりが深く、別名御寺(みてら)。霊明殿には歴代天皇の尊牌が奉られ、皇族の方々がお参りの際に座られる御台座も手の届くところにある。皇室がぐんと身近に感じられるお寺なのだ。
昨年暮れ、82歳のお誕生日を前に、天皇陛下が語られた言葉を耳にしたときから、正月は久しぶりにここを訪ねようと決めていた。戦後70年の去年4月、陛下は海保の船での宿泊という過酷な条件の中、激戦地パラオを訪問。さらにこれはあまり報道されなかったけど、6月には、このパラオから引き揚げた方たちが入植した、その名も宮城県蔵王の北原尾地区。7月には旧満州の開拓団と同じ名をつけた栃木県那須の千振開拓地を訪ねられ、あの敗戦時、軍と関わりなくというより、軍に見放されて辛酸をなめた人たちを慰められた。
そして国会が安保法制審議に明け暮れた2015年暮れ。陛下は、こちらも軍に徴用されながら、軍艦の護衛もないまま海に消えた6万人ともいわれる民間輸送船の船員への思いを「平和であったら有意義な人生を送ったであろう人々に心が痛みます」と声を震わせながら語られたのだった。
その誕生日のお言葉。陛下はこの1年を振り返り、「先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことだと思います」と締めくくられた。
暮れなずみ、人影もまばらになった泉涌寺の参道。唐突に高浜虚子のこんな句が胸に浮かぶ。
去年今年(ごぞことし)貫く棒の如(ごと)きもの
戦後70年から71年目の1歩。陛下のお言葉が棒のように貫き、先へ先へと突き進んでいってほしい。そんな思いがわいてくる、いにしえの都の初春である。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2016年1月5日掲載)
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