法廷ではなく自らの手で変えていこう
− 夫婦別姓問題 −
早朝のテレビ番組、コメントする以上は建前でなく、本音をぶつける。先日も少々ためらいながら普段通りのそんな思いでコメントしていると、スタジオで女子アナが小さく拍手し、女性スタッフがうなずいてくれているのが見えて、正直なところ、ほっとした。
最高裁が「合憲」と判断した民放750条。結婚した夫婦はどちらかの姓を名乗るという規定について、判決前からニュース番組で夫と別姓を認めるべきだとする女性たちの声を中心に報道してきた。
結婚したと同時に職場や地域で、これまでとは違った夫の姓を名乗る。年金、預金、旅券など、手続き変更のわずらわしさ。そんな主張に耳を傾けつつ、アレッ? と思う声がある。
「夫の家に嫁いだ以上、その姓を名乗れと言われたときの喪失感は生涯消えません」「慣れ親しんだ姓をなくしたときは鬱になりました」「職場で旧姓は認めないと言われたときはショックで生理も止まりました」
なるほど、男女を問わず、名前とはいかに大事か思い知らされる。そう感じる一方で、ならば愛する彼女が、妻が、彼の、夫の姓を名乗らされることでこれほど苦しんでいるときに、男たちは何をしていたのか。「愛するキミがこんなに苦しんでいる。夫婦同姓というなら、ぼくがキミの姓を名乗るよ」という男性はいなかったのか。
涙ながらに訴える女性たちから、その説明を聞いたことがない。彼や夫には、女性がどれだけ苦しもうと守り通し、受け継がなければならない家系、家柄があったのか。およそ誇るべき氏も素性も持ち合わせていない私には、そのことが理解不能なのだ。
生番組のスタジオ。女性たちをチラッと見ながら「彼女や妻より家柄が大事、家系が大事なんて男性と結婚したって幸せになれるわけがない。そんなつまらない男はとっとと捨てて、なんで理解ある男性とすてきな家族を作ろうとしなかったのか」。
いささか早口でまくし立ててしまった。
別姓を主張する女性を否定するわけではない。その夫や彼を非難するわけではない。だけど社会慣習、陋習、そうしたものは法廷ではなく私たち自らの手で変えていこうよ。スタジオ以外の女性たちの、反論どころか非難轟々の声も、ぜひ聞かせてもらいたい。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2015年12月22日掲載)
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