「戦争だけは絶対にあきません」 − 中国残留邦人の言葉 −
落葉帰根。落ち葉が木の根っこに帰るように、人もまた自分のふるさとに帰ってくる─。日本に帰国した中国残留邦人がよく口にする言葉だ。先週土曜の14日。その落ち葉と紅葉の京都には、あいにく冷たい秋雨が降りそそいでいたが、西京文化会館は、ほっこりとしたやわらかい空気に包まれていた。
これまで福岡、広島、大阪、札幌、横浜と、私の事務所が「劇団道化」とコラボさせてもらって、ぐるりとまわってきた、厚生労働省主催、「中国残留邦人等への理解を深めるシンポジウム」が今年は京都で開かれた。
あの敗戦から70年。旧満州に置き去りにされた人は当時0歳の赤ちゃんでも、いま70歳。残留邦人一世の京都・福知山の大中はつゑさんは78歳。その親たちに連れられて帰国した二世は、新津春子さん(45)と伊藤春美さん(44)。さらに三世にあたる谷内辰さんは33歳。6歳の娘さんは四世ということになる。
新津さんはNHKの「プロフェッショナル・仕事の流儀」でも取り上げられた清掃の達人。伊藤さんと私は、もう35年のおつき合い。こちらは日本語に加えて、中国語、英語の達人だ。そんな元気、元気な二世三世にくらべて、やはり一世の大中さんには苦労のあとが刻み込まれている。
私がコーディネーターをさせてもらったパネルディスカッション。置き去りにされた子どもたちを大事に育ててくれた中国の養父母が多いなか、大中さんの養母は激しいせっかんと暴力。「苦労、苦労で、もう忘れることにした」と、口ごもることが多かったが、最後の最後、マイクを握りしめて語り始めた。
「そんな養母やったけど、あの混乱の中、私の命を守ってくれたことは確かです。そやから恨みはありません。それよりも悔しくならないのは、学校に行かせてもらえなかったことです。いまは4人の子どもに大事にしてもらって幸せです。けど、勉強をしてないと、まわりが見えへんのです。黒くて暗いものに囲まれているようなんです」
吐く息の音が会場を包む。
「それもこれも、全部、全部、戦争なんです。そやから戦争はあかん。何があろうと、戦争だけは絶対にやったらあきません」
雨脚の強くなった会場の外では刻々、死者の数が増えていくパリの同時多発テロのニュースが飛び交っていた。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2015年11月17日掲載)
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