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沖縄 フラッシュアップ


父祖が守り育てた土地を他国に差し出す…
世界でほかにあるのだろうか

 「米軍基地に関して多くの事件、事故、環境問題が起きてきた。私たちは自己決定権や人権をないがしろにされています」。沖縄県の翁長知事が先週、スイスの国連人権理事会でこう訴えた。日本政府の頭越しの、国際社会への直訴。菅官房長官はカンカンだという。
日刊スポーツの実際の記事画像
 このニュースを伝えながら猛暑の今夏、とびきり猛暑の岐阜を取材で訪ねたことを思っていた。各務原市の航空自衛隊岐阜基地。じつは、1958年までアメリカ海兵隊の「キャンプ岐阜」だったことは、いまでは地元でも知らない人が多い。基地の前を走る通称、飛行場通り。夜は米兵相手の女性があふれてにぎわう一方、風紀は乱れに乱れ、警察官が泥酔した米兵に発砲する事件まで起きた。

 当時、岐阜労協事務局長で後に社会党議員として橋本内閣の官房副長官をつとめた渡辺嘉蔵さん(89)は、岐阜大生とともにデモをするだけでなく、近隣女性を守るため、ボディーガードまでして「体を張って戦った」という。その結果、戦後13年で基地は返還。だが、その行く先は沖縄だった。同じことは山梨県北富士の海兵隊基地でも起きていた。

 もちろん基地周辺の人々が沖縄に行けと言ったわけではない。だが、「半世紀以上も沖縄の人々を苦しめることになるとは思いもよらなんだ。そのうえ、また普天間を辺野古にもっていくというんやからなあ。ぼくにはアメリカも日本も、サボっているとしか思えんのよ」と、渡辺さんは頭を抱える。

 だけど私には、本土が追い出したという事実さえ広く国民に知らせようとしないで、「辺野古しかない」と言い張る日本政府の方がはるかにずるく感じられてならないのだ。

 この夏、私は70年目の終戦の日を挟んで沖縄の辺野古と、かつての海兵隊岐阜基地を訪ねた。辺野古では、機動隊が座り込みの女性もお年寄りも、腕をねじ上げ、はがい締めにして路上に押し倒していく。海上では、海保の巡視艇が体当たりをくわして転覆させたカヌーに乗っていた人が、したたかあごを打って透明な海を血で染めている。

 こうまでして父祖が守り育てた土地を他国に差し出す国が、果たして世界中でほかにあるのだろうか。冷たさを増す秋風のなか、そんなことを考えている。

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2015年9月29日掲載)



特集:沖縄を考える(nippon.com)
 http://www.nippon.com/ja/in-depth/a045/
沖縄の怒りを甘くみてはいけない(ポリタス)
 http://politas.jp/features/7/article/394
普天間基地移設問題の関連ニュース一覧(Yahoo!ニュース)
 http://news.yahoo.co.jp/theme/0638f1641f28c31d8146/


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