「敵だからつぶすわけにはいかない」
— むのたけじさんを訪ねて —
戦後70年、その年月とともに生きた私が人生の先輩たちとお会いする夏。先週の澤地久枝さん(85)に続いてお訪ねしたのは、むのたけじさん。今年1月、100歳になられたジャーナリストだ。こちらはメーテレ、名古屋テレビの取材だ。
戦時中、朝日新聞の従軍記者として軍に帯同。だが、1945年8月の敗戦の日、むのさんは、それまで軍の言うがままの報道を続けてきた過去を顧みることもない新聞に見切りをつけて社を去る。ふるさと秋田県横手市で小さな週刊新聞「たいまつ」を発刊。「詞集『たいまつ』」を世に問う。
<嵐が強ければ強いほどたいまつは赤々と燃える> <人間に美しい生き方があるとしたら、それは自分の立場をはっきりさせた生き方である>
新聞記者を志したとき、新聞記者として心が折れそうになったとき、むのさんの言葉にどれほど励まされたことだろうか。100歳とは思えない、りんとした張りのある声。そんな硬骨、孤高のジャーナリストがインタビューの途中、「そう、あの話があなたの心に残ったの」と、目を細められた。
たいまつを発刊して15年が過ぎたころ、それまでの記事をまとめた本が出版された。すると町の3人が「本を出したお祝いをしてやる」と言ってきた。3人は元市長に市議会議長、それに商工会の幹部。そろいもそろって町のボス。たいまつを「アカだ」と言い、市会議長にいたっては新聞の資金は中国が出していると固く信じて、むのさんが講演などで町を留守にして戻ってくると「ヨッ、毛沢東は元気だったか」と片手を上げてくるような男。
そんなボスたちが町一番の料亭を借り切った宴会。酒もまわったところで、むのさんが「頼みもしないのに、なんで祝賀会なのよ」と聞くと、3人は申し合わせたように「たいまつはオラだちの敵だ。だからつぶすわけにはいがねえ」。
むのさんは50年、誰にも言わなかったこの件だが、近ごろの流れの中、「このエピソードを消してしまうわけにはいかない」と著書に記し、最後に<「敵だからつぶすわけにはいかない」。あなたよ、受けとめて下さい>とつけ加えている。
むのさんも、私も思い描いている、あの人はきっと一緒。
<あなたよ、受けとめて下さい>
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2015年8月18日掲載)
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