次の世代に不幸紡がぬための先達の言葉
— 澤地久枝さんに会う夏 —
戦後70年の夏。その年月とともに生きた私が、人生の先輩たちとお会いする夏でもある。一人は「昭和」と「戦争」を書き続けてこられた澤地久枝さん。1930年生まれ、今年85歳。
95歳の俳人、金子兜太さんが書かれた「アベ政治を 許さない」の太字のステッカーが玄関ドアにデンと貼られた都内のお宅を、東海テレビの取材でお訪ねした。澤地さんは今夏、14歳のときに中国・旧満州で迎えた終戦時の体験を綴った「14歳<フォーティーン>満州開拓村からの帰還」(集英社新書)を出版されている。
「神風が吹いて必ず日本は勝つと固く信じていた、本当にバカな軍国少女だったの」。うだるような暑さの日、背筋を伸ばして和服をお召しになっている。
だが、1945年8月9日、ソ連は国境を越えて満州になだれ込む。男手を兵隊に取られ、女性と子どもと年寄りだけになった満州国。そんな家族を守るべき関東軍はさっさと逃走。それどころか、ソ連兵の追走を恐れて橋やトンネルを爆破して逃げたのだ。残された女性や子どもはどうなるか。
澤地さんがこれまで決して口にしてこなかったことにもふれている。
<…もし抵抗しなかったら。もし銃が使われていたら。もし少女が失神したら。ソ連将校は大勢の目の前で少女を犯したのだろうか。人間は、そんなに恥知らずなのだろうか>
このときに抱いた思い。「軍隊とは、軍と国を守るものであって、決して国民を守るものではない」。それは、いまも骨身に染みついている。
「なのになんですか。戦争をしないと誓った国が今度はよその国の軍隊と手を組む。こんな恥ずかしい、情けないことがありますか」
少年少女のために書いておきたかったという「14歳<フォーティーン>」
<明治はたしかに遠い。大正も昭和も。しかし遠い戦争が、つぎの世代の不幸にむすびついていることにいま、わたしは気づいた。老いのくりごとではない。少年に、わたしはもう一度話をする。この本を書いたことが、無意味にならないことに希望をつないで>
気がついたら、私たちは次の世代への不幸を紡いでいやしないのか。鎮魂と祈りと精霊の夏は、もうひとつ、先達の言葉に静かに耳を傾ける夏でありたい。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2015年8月11日掲載)
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