戦争と戦った黒田清さんに届け 平和の球音
— 縁あった豊中のシンポジウム —
8月がやってきた。6日と9日の原爆の日。15日の終戦の日。夏は戦争の季節。と同時に球児たちの夏。もうひとつ言うと、お盆の帰省、ふるさとを思う季節でもある。そんなとき、東京で生まれて育った私が、ここに住んで30年余り、第2のふるさとでもある大阪の豊中を思う夏にもなった。
今年は高校野球100周年。その発祥の地、豊中グラウンドがあったこの地で8月1日、記念の講演とシンポジウムが開かれ、私も縁あって聞きに行ってきた。
講演は元オリックス、大リーガーの田口壮さん。それにシンポジウムのコーディネーターは朝日新聞の安藤嘉浩さん、パネリストは高野連理事の田名部和裕さん、毎日新聞の松本泉さん、京都二中OBの黒田脩さんら。じつは、縁あって、と書いたのは、この黒田脩さんは私の恩師、元大阪読売社会部長の亡き黒田清さんの実のお兄さんなのだ。86歳。
もうひとつ言うと、黒田脩さんは100年前の1915年、豊中で開かれた第1回全国中等学校野球大会の優勝校、京都二中のOB。それに、あの戦争で途絶えていた大会が再開されたのは、終戦からちょうど1年後の1946年8月15日。その第1試合、先攻は京都二中。1番バッターは、サード黒田脩さんだったのだ。
まだある。100年前の優勝校、そして戦後第1試合の京都二中は、学制改革でその名は消えたが、継承校は京都府立鳥羽高校。その鳥羽高が今大会15年ぶりに甲子園の土を踏み、ひょっとすると100年前、ともに豊中グラウンドに集った、あの清宮くんの早稲田実業とぶつかることだってあり得るのだ。
まさに縁(えにし)、縁、縁、縁…。高校野球を支えてくれたOBたち。それにこの大会に臨む球児たちへのエール。パネリストの熱い思いがぶつかり合う心地のいいシンポジウム。戦争と差別を生涯憎み続け、「夏は戦争の季節」と何度となく書いていた黒田清さん。こんな平和な、もうひとつの夏を知ったら、「ええな、ええな、ぼくも寄せてほしかったなあ」と言ったに違いない。ステテコに枝豆、大ジョッキ片手の姿が、浮かんでは消える。
100年の歴史に、戦争で欠けること3回。第97回となる全国高校野球大会は、あさって6日、広島原爆の日に開幕する。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2015年8月4日掲載)
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