未解決…憲法記念日…なぜなぜ くり言返す
— 小尻記者母の訃報 —
朝刊を繰っていた手が一瞬、止まった。<阪神支局事件 小尻記者の母 小尻みよ子さん死去>
1987年5月3日に起きた朝日新聞阪神支局事件で、凶弾に倒れた小尻知博記者(当時29)の母。7月15日、肺炎のため亡くなられたという。84歳だった。4年前の7月には父、信克さんも亡くなられており、事件が解決しないまま、ご両親とも世を去った。
事件が時効を迎える直前の2002年春、取材で広島県川尻町(現・呉市)の小尻記者の実家を訪ね、海の見える小高い丘の上のお墓に参らせていただいた。朝日新聞の社旗が飾られた仏壇を前にライバル社の出身とはいえ、そこは同業者。ご両親は、にこにこしながら取材に応じてくださった。
「あの子には亡くなるまでだまされてましてね」。なんでも、広島出身の小尻記者の初任地は盛岡支局。どうしてまた、そんな北の地に、という両親の疑問に「朝日にはその年の入社試験でトップの者は、ときの総理の出身地に行くという慣例があるんだ。いまの鈴木善幸さんは岩手の人だろ。試験が1番だったぼくは盛岡と決まっていたんだ」
事件の後、会食した朝日の幹部は目を白黒させながら、「わが社には断じてそのような慣例はありません!」。みんなでおなかを抱えて大笑いしたという。
時効を前にみよ子さんが出版された句集「絆」は私の書棚に大事に置いてある。
<夢叶い夢多かりき者なのに>
<なぜなぜとくり言返す母の胸>
同じ思い出話を何十回何百回と繰り返しながら、なんとか笑顔で生きていきたい。そんなご両親の姿が目に浮かんでくる。だが民族派右翼、「赤報隊」を名乗る犯人の正体はつかめないままだった。
<未解決きょうもあきらめ明日を待つ>
そんな母が逝ったのは7月15日。9割を超える憲法学者が「憲法違反」と断じ、その一方で、与党議員の集まりで沖縄の新聞社2社を名指しにして「つぶしてしまえ」という声が出るなか、安全保障法制案が衆院特別委員会で強行採決、可決された。
<憲法記念日ペンを折られし息子の忌>
多くの国民が不気味さに総毛立つを思いを抱いた日に逝った母、みよ子さん。
<ざわざわと山迫りきて木の実落つ>─。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2015年7月21日掲載)
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