やっぱり戦争はしない方が良いのかなあ
— 大島渚監督の作文 —
スタジオでご一緒させてもらうたびに、コワモテのイメージとは打って変わってずい分やさしい方だなと感じていた映画監督の大島渚さんが亡くなられて2年余り。東海テレビの取材で久しぶりにあの和服姿が目に浮かんだ。
意外なことに大島さんは長男の武さんが小学生のとき、作文を書いてあげていたのだ。その作文が絵本作家の伊藤秀男さんの絵とともに「タケノコごはん」というタイトルでポプラ社から出版される。
パパ(大島さん)が小学3年生のころクラスで一番強い子に、さかい君という子がいました。だけど、さかい君のお父さんは戦争で亡くなるのです。先生に連れられて行ったお葬式。
<驚いたことには、さかい君は、ぐっとクチビルをかみしめたまま、僕たちをにらんでいました。涙なんか、こぼしていなかったのです。僕たちはお葬式の帰り道でほんとにさかい君は強いな、と話しあいました>
でもそのころからさかい君は弱い者いじめをするようになります。そしてそのときの、色が黒くてたくましい担任の先生が戦争に行くことになり、かわりに色の白い、やさしい先生が担任になります。やがて、そのたくましかった前の担任の先生も戦地で亡くなります。
パパもさかい君も、新しくきた色の白い先生が大好きでした。だけど、6年生の夏、悲しい知らせが入ります。先生も戦争に行くことになったのです。あのやさしい先生に戦争なんてできるんだろうか。日曜日、先生の家に押しかけると、先生は「ちょうどタケノコごはんが炊けるところだ」といって笑いました。そしてみんなでぐったりするほど、いっぱい食べたとき、アレ、さかい君が泣いています。僕たちがさかい君が泣いたのを見たのは初めてでした。
<さかい君はしゃくりあげながらいいました。
「先生、戦争なんか行くなよっ」。そのとき初めて、戦争でお父さんを亡くしたさかい君が弱いものいじめをするようになった悲しい気持ちが少しわかった気がしました。そしてパパは、それまでずっと日本の国が戦争をすることが正しいことと教えられてきたんだけど、その時、はじめてやっぱり戦争はしない方が良いのかなあ、と思ったのでした>
あれから70年、また夏がやってくる─。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2015年6月30日掲載)
|