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珈琲 フラッシュアップ


戦争に関しては反対しかない
— 中立求められるジャーナリズム —

 先週の金曜日、いつものように朝刊を開いて、傍らのコーヒーの香りが違って感じられた。前日の14日夕、安倍首相は安全保障法制関連法案が閣議決定されたことを受けて、身ぶり手ぶりを交えて記者会見に臨んだ。この日をもって私たちの国は、とんでもない道へと歩み始めたのだ。
日刊スポーツの実際の記事画像
 私たちジャーナリズムの世界にいる者には常に中立が要求される。だけど私は、ジャーナリズムの最大の使命は、なにがあろうと戦争をさせないこと。戦争反対だ。そのことに「中立」はあり得ないと思っている。

 首相はこの法制を自ら「平和安全法制」と名付け、「戦争法案といったレッテル貼りは全くの誤り」と語気を強める。ならば聞きたい。古今東西、「戦争のため」といって戦争を始めた国があるか。あのナチスも欧州の平和を唱え、首相がおわびはしなかったけど、「深い反省」を表した先の大戦でさえ、当時の軍歌は「四海の人を導きて 正しき平和うち建てん」と歌っていたではないか。

 この70年間、日本は戦争という名のもとに、他国民、自国民ともに一滴の血も流させていない。首相はそのことを、日米軍事一体化の安保体制と結びつけ、「戦争に巻き込まれるという批判が的外れであることは歴史が証明している」という。70年の平和は日米安保のおかげと言うのか。いいかげんにしたらどうだ。日本国民が憲法を何より大事にしてきたからこそ、この平和があったのではないか。これこそ首相が忌み嫌う自虐史観ではないのか。

 私と同じく、70年前の終戦の年、1945年に生まれ、いま原爆詩の朗読に走り回っておられる吉永小百合さんの言葉が胸に浮かぶ。

 「私たちが生まれた1945年、昭和20年は日本の歴史のなかで唯一、この年にこの世に生まれてきた私たちの数より、心ならずも散っていった命が多かった年です。図らずもその年に生を受けた私たちには、おのずから生涯を通じてなさなければならない使命があるように思えてならないのです」

 言い方を変えれば、私たちジャーナリストには、こと戦争に関して中立はない。反対しかない。いつもと違うコーヒーの香りのなか、「生涯を通じてなさなければならない使命」に、思いをはせる。

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2015年5月19日掲載)



「安保法制」の検索結果(Yahoo!ニュース)
 http://news.search.yahoo.co.jp/search?p=安保法制
1945年に生まれた人々/生年月日(誕生日)データベース
 http://www.d4.dion.ne.jp/~warapon/data00/year/birth_1945.htm
安全保障(Wikipedia)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/安全保障


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