「忘れさせてなるものか」
— 福知山線 セウォル号 日航機 大震災… —
10日前のことになるが、4月25日、JR福知山線の事故から10年、大阪で「日韓事故被害者『追悼の夕べ』」が開かれた。開催に向けて走りまわっておられたJR西労のみなさんからお願いされて、せんえつにも私がこの集会の実行委員長をつとめさせてもらった。
この集まり、107人の死者を出した福知山線事故だけでなく、昨年295人の死者と行方不明者9人を出した韓国のセウォル号沈没事故。さらに2003年、192人が犠牲になった韓国・テグ地下鉄火災。それに1985年、死者520人を出した日航機墜落。それらの事故で亡くなられた方のご遺族がそれぞれ参加。加えてこの日は事故ではなく東日本大震災で、わが子を失った宮城県石巻市大川小学校の児童のご遺族3人も献花の列に並ばれた。
いずれの事故も災害も私は現場にかけつけたり、ニュース番組で報道してきたが、これだけのご遺族と、ときを同じくしてお目にかかるのはもちろん初めて。悼む心と、あらためて胸に痛みの走る夕べとなった。
事故、災害のご遺族に共通する思いは、なぜ、これほどまでの犠牲が出てしまったのか。その原因は何だったのか。そしてもう1つは、現場の当事者に責任を負いかぶせるのではなく、安全に関するトップ、幹部の責任は問われたのか、というものだった。だが日韓ともに公共交通機関のトップや国の安全対策への責任が追及されることはなかった。
セウォル号で16歳の息子を亡くされたお母さんは、政府のあまりに不誠実な態度に昨年、他の母親とともに黒髪をバリカンでばっさり落として剃髪、壇上では毛糸の帽子姿。この1年の報告の合間合間に、憤りを必死に抑えるようにハー、フーという吐息が漏れてくる。だが、これだけの事故を重ねながら、なお安全より利益。国民の命より企業の擁護。ローコストに効率化。どの国でもその流れは変わらない。この集会に向けて私はこんなメッセージを出させてもらった。
「忘れようとする人がいる。忘れさせようとする人がいる。だから忘れるものか。忘れさせてなるものか」
セウォル号遺族のお母さんの吐息は、「忘れるものか、忘れさせてなるものか」と響いているような気がしてくるのだった。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2015年5月5日掲載)
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