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「ゆっくり急ぐしかないべさ」に和まされるが
— 7割仮設生活…進まぬ東北復興 —

 3・11東日本大震災4年を迎えたあとも宮城県気仙沼、女川と、週末ごとに被災地に取材に入る日々が続いている。早朝の気仙沼。高台移転地の造成と沈下した岸壁のかさ上げ、それに防潮堤建設。同時進行の工事のため、ダンプカーが激しく行き交っている。
日刊スポーツの実際の記事画像
 だが、じつのところ、復興は20年前の阪神大震災に比べて周回遅れ。阪神大震災4年目は、被災直後のまま仮設住宅に住んでいた人は1割。9割の方が家を新築したり、マンションを補修。あるいは災害復興住宅に移り住んでいた。

 だけど東日本大震災では、4年たったいまも7割の方が仮設での生活を続け、自宅などに戻った人は3割にとどまっている。そんな仮設のひとつ、中学校の校庭に建つ面瀬仮設。大半の人は自宅を津波で流され、家のあった場所は、いまは居住禁止地域に指定されている。

 孫ががんばって別の場所に家を新築してくれて、もうじき手足を伸ばして寝られるというお年寄りもいれば、3年先の高台の造成を待つ男性もいる。「この年で家さ持ってどうなる」と言う85歳のおばあちゃんは、復興住宅の完成まで仮設で暮らす。そこがガレキさえ片づければ家が建てられた阪神大震災とは大違いなのだ。

 面瀬仮設では、いま新たな課題も抱えている。阪神大震災で被災地のナイチンゲールとも呼ばれ、昨年、がんで亡くなった元宝塚市民病院の副総婦長、黒田裕子さんが最初に飛び込んだのが、この面瀬仮設。その黒田さんの信念を継いで「仮設で絶対に孤独死を出さない」を合言葉に、24時間見回り体制を取ってきた気仙沼市立病院看護部長の藤田アイ子さんたちの支援が当初の約束通り、この3月末で打ち切られるのだ。

 黒田さんの遺影がかかる仮設の集会室。これからは元気な人たちが手を携えて、24時間見回り体制を新たに作って黒田さんの遺志を継いで行くと誓い合っていた。

 福島原発事故を含めて、山積みの問題、課題を抱えて遅れに遅れる復興。だけど、面瀬の仮設で会った85歳のおばあちゃんの「ゆっくり急ぐしかないべさ」という言葉に、ふっと心が和む。桜前線もゆっくりと北上。花がほころぶのは大型連休のころという被災地に、5回目の北国の春がやってこようとしている。

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2015年3月31日掲載)



NHK東日本大震災アーカイブス 証言webドキュメント
 http://www9.nhk.or.jp/311shogen/
東日本大震災後の仮設住宅(Wikipedia)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/東日本大震災後の仮設住宅
気仙沼に大きな力 被災者見守り続けた女性の冥福祈る(河北新報)
 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201410/20141004_13018.html


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