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光 フラッシュアップ


胸突き八丁の被災地へ一筋の光に
— 花火が縁で愛知・日進市から福島・川俣町へ移住した市職員 —

 宮地勝志さん(55)は、いま福島県飯舘村と浪江町に隣接する川俣町の原子力災害対策課の課長補佐である。つい1年前までは遠く離れた愛知県日進市の市職員。奥様とともに、名古屋市近郊のベッドタウンから福島の山あいの町に移り住んでしまったのだ。
日刊スポーツの実際の記事画像
 事の起こりは4年前の東日本大震災。その年の秋、日進市は恒例の花火大会で川俣町製の花火を打ち上げることにしていた。だが、結果的には放射能汚染と関係なかったのに、心ない人からの抗議で打ち上げを中止。川俣をはじめ、福島の人々を傷つけてしまった。

 だけど雨降って地固まる。川俣と日進はこれをきっかけに交流を続け、人手不足に泣く川俣町に日進市が職員を派遣。その第1号が宮地さんだった。だが一昨年、日進に戻った宮地さんは、町を去るとき、なんとか引き留めてと嘆願書まで町長に出してくれた町の人たちが忘れられず、去年、とうとう正規の職員として町に舞い戻ってきたのだ。

 雪の残る田畑には、汚染物質の詰まった土のうが積み上げられている。その数37万袋。それだけ除染が進んだということにもなるのだが、宮地さんは汚染の不安が消える一方で、町の人の間に目に見えない不満がたまっていると危惧する。住宅や田畑が対象の除染。山や川は除外されていて、狭い仮設住宅に閉じ込められている人たちは春の山菜取りや秋のキノコ狩り、ヤマメやイワナの川釣りもできない。イライラが募っている。

 それに、居住制限区域の人や土のうの仮置場の地権者には応分の手当が出るが、近接していても地域外の人には1円も出ない。だけど狭い町、なかなかそんなことは口に出しては言えない。でも、しがらみのない宮地さんには、うっぷんもぶつけられる。その一方で、以前のように「町外の人に言われたくない」とは、もう言わせない。

 「わたす1人の小さな力だけんど、町さ人の亀裂が少しでも埋まってくれたらと思っとります」

 被災地はいま胸突き八丁。苦しいなかで、宮地さんたちの力が一筋の光になってほしい。そして私たちも小さな光を届けようと、明日3・11震災の日、テレビ朝日の「スーパーJチャンネル」は午後2時から5時間の特番(一部地域をのぞく)。ぜひ見て下さいね。

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2015年3月10日掲載)



川俣町 日進市 相互応援協定(Google 検索)
 https://www.google.co.jp/search?q=川俣町 日進市 相互応援協定
2015 3.11 東日本大震災から4年 未来への現在地(Yahoo! JAPAN)
 http://shinsai.yahoo.co.jp/
東日本大震災に対する支援活動(Wikipedia)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/東日本大震災に対する支援活動


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