原発問題 問われるべきヒト
— 高浜原発に規制委が合格 —
原子力規制委員会が福井県の関電高浜原発の安全対策に「合格」を出し、早ければこの夏にも再稼働の運びになるという。このニュースに私は賛成とか反対という前に、私たちはこんな道を歩んでいいのか、という不安が先に立つ。
折しも「北の国から」でおなじみの倉本聡さんが脚本、演出された舞台、「ノクターン―夜想曲」がいま全国巡回公演中。日程が合わずDVDとなってしまったが、じっくり鑑賞させていただき、東海テレビの取材で倉本さんをインタビューさせてもらった。
福島第1原発に近い廃屋。津波で娘が行方不明のままの元原発労働者、同僚が津波にのまれた新聞記者、父を亡くした彫刻家。倉本さんは「復興が遅れに遅れているその一方で、風化は大手を振ってものすごい速さで進んでいる」と指摘する。
その流れに乗った原発再稼働。「だけどよお、イルミネーションとネオンの光の中にいる都会の人間に、原発再稼働反対なんていう権利があるのかよ」。舞台には元原発労働者の声が響く。倉本さんは「貧幸」という言葉をよく口にする。豊かさと幸せは正比例しない。貧しさ、つつましさの中にこそ幸せがあるのではないか。富良野の自然を舞台にした「北の国から」の「ええっ、電気がないの。夜どうしたらいいの?」という息子に、父が「暗くなったら寝ればいいさ」と答える、あの場面が浮かんでくる。
倉本さんは、電力の問題はなぜか供給する側から語られることが多いと言う。石炭石油なのか、風力水力の自然エネルギーか。だが本来、それは受ける側から語られるべきではないのか。コンビニは深夜まで営業すべきか。テレビは24時間放送する必要があるのか。倉本さんの近著、「ヒトに問う」にこんな一文があった。
ペルセウス流星群の空に舞う美しさをかつてのヒトは皆見た筈である。だが、いま夜空が晴れていても街の眩しさがそれを消している。いや、そんなにさかのぼらなくても良い。僅か70年前、焼野原の日本で僕らにはそれが見えた。あの頃、僕らはまだヒトだった―。
原発の問題を問われるべきは、政府ではない、規制委でも、立地自治体でもない。私たちヒトに問われるべきではないのだろうか。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2015年2月17日掲載)
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