人は時に病む だから早期治療を
— 「殺してみたかった」 —
いったい、いつになったら社会はこうした問題と真正面から向き合うのか。何度同じことを書いたりコメントしたら、社会は変わるのか。やり切れなくなってくる。
名古屋大学の19歳の女子大生が77歳の女性を殺害、「誰でもよかった。人を殺してみたかった」と供述していることがわかった。昨年7月、長崎県佐世保市で15歳の女子高生が、やはり「人を殺してみたかった」と同級生を殺害。そのとき、私は10年前にも女子児童殺害事件があった佐世保という土地柄のせいにしたり、教育関係者の責任を追及する風潮に対して、このコラムで「必要なのは早期治療。おためごかしやお題目にうんざり」と書いた。今回もまた、同じ思いにかられている。
女子大生はツイッターに神戸の連続児童殺傷事件の少年Aや秋葉原無差別殺人事件の被告を「尊敬している」と書き、今回の事件のあとも「ついにやった」と書き込んでいる。高校時代から薬物に異常な興味を持ち、そのことは同級生や保護者も知っていた。当時、校内で薬物を摂取させられたとみられる男子生徒が失明に近い状態に陥っている。
これらの状況を見る限り、女子大生は明らかに精神的心理的疾患の状態にある。だが、私たちメディアや精神科医がこうした事件の際にこの点を指摘すると、保護者や教育関係者から「精神疾患がある者は、みんな犯罪予備軍とでも言うのか」とすさまじい抗議が来る。いくら「そうではなくて、犯罪に走る恐れがある人もいるので早めの治療を」と言っても聞く耳持たず。結果、うんざりしてしまったメディアも医学界も、この問題にはもうふれまい、と口を閉ざしてしまったのだ。
だが、その間に「誰でもよかった」という殺人の標的にされて、かけがえのない命を落とした人は、いったい何人にのぼるのだろうか。
もういいかげん、ものごとの本質から目をそらすのはやめようじゃないか。抗議が来たくらいで、あらぬ方向に責任を転嫁するのはやめようじゃないか。人間が人間である以上、ときには肉体も精神も病む。だからこそ、いま1度言う。早期発見、早期治療なのだ。そんな当たり前のことができないほど、私たちの社会は愚かではないと信じたい。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2015年2月3日掲載)
|