銀幕から「生き方」ひとつ時代の終わり
— 健さんに続き文太さんも —
先々週のこのコラムに亡くなられた高倉健さんのことを書かせてもらったばかりなのに、後を追うように菅原文太さんの悲報が届いた。享年80。健さんの任侠シリーズは学生時代、文太さんの「仁義なき戦い」は新聞記者になってから。ともに、封切りと同時に映画館にかけつけた。なんだかわが青春の数ページを、いきなり引き破られたような寂しさだ。
といって健さんも文太さんも、私にとっては銀幕の中だけのスター。ただ、文太さんには一度だけお目にかかったことがある。昨年11月、天下の悪法といわれる特定秘密保護法が国会で成立しようとしていたとき、田原総一朗さんや鳥越俊太郎さん、私たちジャーナリストが反対の集会を呼びかけた。その2回目の集まり、砂防会館の会場の入りきれない人の中に文太さんの姿があった。
「こんなところで演説する柄じゃなかろう」と言う文太さん。だが、司会者が「そこをなんとか」とマイクを渡すと「私らは、かすかだが戦争を知っている世代。こんなとんでもない法律が通されようとしていると知って、少しばかり遠いところから駆けつけてきた。ものを言えない時代に、この国を戻してはいかん」と、ソフトだが、よく通るあの声で話された。それが、あこがれの文太さんとの最初最後の出会いだった。
学生運動が燃え盛ったときの健さん。私たちが晩年に差しかかってからの文太さんの農業や原発、基地に対する思い。スクリーンの中の男たちが、私たちの生きる道筋にまで影響を与えた。そんなひとつの時代が終わった。ふたりの死は、そうしたことも思わせる。
その特定秘密保護法は、明日10日、いよいよ法として施行される。平和を愛する人に、自由にものを言える社会を大事にする人に、この法律が牙を剥いて襲いかかるのは、じつはあしたからなのだ。その際に私たちはどれほどの抵抗を示せるのか。そう、本当の戦いはこれからなのだ。そのときまで、1年前、病をおして遠方から駆けつけてくれた文太さんの姿をまぶたに焼き付けておきたい。「仁義なき戦い」のあの名せりふを耳の底に残しておきたい。
「弾はまだ残っとるがよう」
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2014年12月9日掲載)
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