とめておくれよ健さん国民栄誉賞
— 安倍首相あざとすぎ —
恒例のテレビ局の「今度の解散を○○と名付けると」という問いに、私は某局の高視聴率ドラマの決めゼリフをもじって「私、失敗したので解散」と名付けさせてもらった。だってそうでしょ。アナリストの誰一人予想しなかったGDPマイナス1.6というとんでもない数値。極端すぎる円安に中小零細企業は青息吐息。賃金は物価の上昇に大きく水をあけられて、家計はどこも赤字続き。どこをどうつついたって「私、失敗した」ことは確か。とはいえ、この年末の忙しいときに解散とはどう考えても理屈が合わない。
といって、野党はくっついたり離れたり。手を握ったテーブルの下では脛の蹴飛ばし合い。とうとう、今度の選挙は「自民対白票」とまで言われる始末。そうなったら、国民からアベノミクスへの信任を得たことにならないとあせる安倍政権。ならば少しでも国民の関心をと、ここにきてにわかに浮上したのが先日亡くなられた高倉健さんへの国民栄誉賞。学生時代、場末の映画館で、「健さん!」と声をあげていた身ならずとも、そのあざとさにカチンとくる人も多いのではないか。
20日の毎日新聞が「栄誉賞 政府検討」と報じたのをきっかけに、議論が沸騰。安倍首相は「選挙目当てと思われたくない。タイミングが大事」と言いつつ、アベノミクスへのお墨つきと政権の人気浮揚に色気十分というのが大方の見方だ。
でもなあ、こんな形の授賞にあの世の健さんは、はにかんだ顔で固辞しつつ、静かに怒りをたぎらせているのではないか。少し前にも書いたことだが、そもそも私は勲章や栄誉賞には、いい感じを持っていない。それが死後の授賞となると、とても許す気にはなれない。こんな選挙のさなかのミエミエの贈呈に、本人がとんでもないと辞退したくてもしようがないではないか。遺族が断わればカドが立つ。
何より、健さんは権謀術数渦巻く政界とは真逆のところで、片肌脱いで長ドス片手に立っているように思えてならないのだ。こんなときに引っ張り出されたんじゃ、「背中のイチョウが泣いている。とめてくれるなおっかさん」。おっかさんならずとも、誰か栄誉賞をとめてくれ。健さんの背中(せな)で唐獅子牡丹がほえている。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2014年11月25日掲載)
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