生きて、調べて、実感して…書かなくては
— とてつもない句集を読んで —
事件、事故、災害。およそ俳句心などと縁の遠い私のところに立派な箱入りの句集が贈られてきた。「宇多喜代子俳句集成」(角川学芸出版)。
宇多さんと知己を得て、もう20年。といっても、決して濃いおつき合いではない。関西の早朝のニュース番組でご一緒して、俳人らしい自然を見つめる目と同時に、人間や社会に対する洞察の奥深さに心を打たれた。
だけど、番組が終了したあとは季節の品を贈ったり贈られたり。その折に近況を報告し合う程度。ただ今度の俳句集成は、たまたま毎日新聞の「俳句月報」で、俳人の櫂未知子さんのこの句集への熱き思いにふれて、私は目を開かれた。年次を逆上って句が並ぶなか、あの東日本大震災の「2011年」の項に、
列島を東西に断つ夏つばめ
などの句の前に「三十句 三月十一日以降 原発を円心として」と添え書きがある。人によって受け止め方は違うだろうが、
帰らざるあまたあまたや鳩の巣も
垂れこめて母子をかくまう青簾(すだれ)
そんな句に並んで、やや難解な
七月の雨や六、五、四、三月
の句も「三月十一日以降…」の言葉と併せ読むと、胸が締めつけられる。東京からの震災報道に追われ、私が被災地に立ったのは、東北に遅い春がやってきたころ。まさに、あまたあまたの死と、福島を円心とした惨状に、ただただ打ち震えていた、あの年の「七、六、五月」。
櫂さんはこの句集を捉えて、こう書く。
「生きる、調べる、実感する、詠む。そんな当たり前そうで、案外難しいものがこの一書から見えてくる。間もなく八十歳を迎える俳人の、とてつもない一冊であることは間違いない」。
その書の「原発を円心として」の項は、
秋はじめ円の内外に同じ風
の句で終わっている。
私自身、今年は不摂生がたたって数カ月を棒に振ってしまったが、このとてつもない1冊の句集を横に、頑張って、生きて、調べて、実感して、書かなくては、と思い新たにする2014年秋の終わり、冬のはじめである。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2014年11月4日掲載)
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