世界に踏み出す「日本の宝物」たち
— 紅葉ケ丘のシンポジウムを終えて —
秋晴れの、その名も紅葉ケ丘にある横浜市教育会館は開演前には満席の盛況だった。先月末にこのコラムでも紹介させていただいた厚労省主催の「中国残留邦人等への理解を深めるシンポジウム」が18日に開かれた。これまで札幌、福岡など4カ所でこの会のコーディネーターをしてきたが、今回は、それらに増して心に残るものがあった。
敗戦時、極寒の大陸に置き去りにされた残留孤児1世の門伝富美さん(79)をはじめ、孤児2世の伊藤春美さん(43)、3世の鈴木芹奈さん(19)をパネリストに、メーンパネリストの朝日新聞編集委員の大久保真紀さんを交えて思いの丈を語り合った。
その中で、大久保さんの「伊藤さんや鈴木さんは、これからの日本で宝物のような存在になるはずです」という言葉が、じつに新鮮に耳に響いたのだ。
私とは25年以上のおつき合い。伊藤さんは1世のお父さんに連れられて10歳で日本に。だけど中国にいた時は「日本人(リーベンレン)の子」。日本では「チャイニーズ」。「私の居場所はどこ?」とアメリカに留学。さらに中国の大学で学んで、再び日本へ。
小学6年生のとき1世の祖父とともに帰国して、頑張っていま明治大学2年の鈴木さんも、やはりいじめに遭った。「でも私は、中国だ、日本だという狭い考えを逆にバネにしてやれと思ったのです」。
鈴木さんはフィリピンに短期留学したあと、先月には青年国際交流事業でエストニアに。さらに大学在学中にドイツに留学することにしている。
大久保さんは「中国から日本へ。口では言い表せない苦労をしてきた1世に刻まれた深い皺を見てきた子どもや孫たちが、今度は日本から世界に大きく踏み出そうとしている。そこに中国残留邦人孤児を取り巻く新しい姿がある」と言う。
敗戦から70年たって、なお戦争の災禍の中にいる残留孤児1世。だが、その子や孫たち、2世、3世がアメリカ、フィリピン、ドイツ、エストニア。さらには祖父が、父が育った中国に。そこに日本が戦争をしない国として歩んで行く、新たな道があるように思えるのだ。
シンポジウムが終わった夕暮れの紅葉ケ丘に、心地よい秋風が吹いていた。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2014年10月21日掲載)
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