公正公平な紙面検証とは
— 三たび朝日新聞に言いたい —
三たび朝日新聞問題について書く。この問題は朝日新聞だけのものではない。日本のジャーナリズムの信頼を根底から覆すものだと思っているからだ。
朝日新聞社の謝罪と今後の取り組みについて、どうしても納得できないどころか、激しい憤りを感じていることがある。
朝日は強制連行をデッチ上げた吉田証言をはじめ、一連の従軍慰安婦報道について、新たに元高裁判事や歴史学者、元放送関係者らで作る第三者委員会を立ち上げ、記事作成の過程やそれらの記事が与えた影響について検証するとしている。こんな責任逃れ、卑怯で卑劣なやり方があるか。
私は原発の吉田調書も慰安婦報道も、さらには池上彰氏の原稿拒否も、すべては特別編集委員の星浩記者も書いているとおり、「事実と正直に向き合わなかった」ことから始まっていると思っている。なのに、ことここに至って、なお自社の記者が事実と向き合うことなく、第三者に向き合ってもらうとは何事だ。
そもそも、記事作成の過程とその影響について検証するというなら、その作業についてのプロ中のプロは新聞記者ではないのか。そのプロではなく元判事や学者に任せるというなら、今後、朝日の記事はその人たちに書いてもらったらいい。
いや、身内や関係者についてのことなので公平、公正な検証が可能かどうか、という意見があることも承知している。ならば朝日は創刊以来135年、身内や関係者にはいつも筆を鈍らせてきたということなのか。
ここは朝日の記者による朝日の紙面の検証でなくてどうするんだ。会社がどうしても第三者にこだわるなら、有志の記者が手を取り合って独自の取材と検証を始めたらいいではないか。そこには毎日や読売、産経の記者にだって入ってもらったらいい。記者がプロとしての取材力を心血を込めて注ぎ込み、公正公平な検証ができたとき、朝日新聞だけではない、初めて新聞の、いや、日本のジャーナリズムの信頼が取り戻せると私は思っている。
朝日新聞の記者のみなさんは、ぜひこの提言に耳を傾けてほしい。他社ではあるが、少しばかり記者の先輩として、いま私は万感の思いを込めて、これを書いている。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2014年9月23日掲載)
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