病床に届いた元警察官僚の熱い思い
— 事件記者のイロハ教わった —
少し前にもふれたように、いま私は病をねじ伏せようと格闘中。大勢の方に心配をかけ、励ましのお手紙もいただいて恐縮している。
<酷暑に加え、記録的大雨の夏、先日の放送で貴兄が体調不良で番組を休むと聞いて心配しています>
様々な資料と一緒に手紙を下さったのは川畑久廣さん。川畑さんは元警察官僚。と言っても、いわゆるキャリア官僚ではない。ノンキャリからの叩き上げ。推薦組といわれる何千人に1人の枠に入ってキャリアポストを歴任、北海道警旭川方面本部長で勇退されている。
私が新聞記者の1年目、初任地の徳島を駆けずりまわっていたとき、川畑さんが県警捜査2課長として赴任されてきたのだ。法律から警察用語、それこそ、事件記者としてのイロハのイから川畑さんに教えていただいた。そして、まことに縁は異なもの。それから20年後の1984年、あのグリコ・森永事件のとき、川畑さんは近畿管区警察局で事件を指揮する保安部長。私は社会部記者だった。
だが、ご本人は、「未解決に終わった事件だから」と多くを語らないが、じつはこの事件で公開手配された例のキツネ目の男の似顔絵について川畑さんは「似ていなかったら、逆に捜査の妨げになる」と公開に強く反対。手詰まりになっていた警察庁トップとぶつかり、結果、旭川への異動となったとも聞いた。
<さて、私も今年85歳。人生の終末を迎え、以前、貴兄のお世話で出版化していただいた「捜査指揮官」に書き残したことなどを含めて資料を作ってみました。ご笑納下さい>
資料には若き警察官への思いや、グリコ・森永事件の捜査中に亡くなった刑事への熱い思いがぎっしりと詰まっていた。思い起こせば最初に川畑さんが送って下さった自分史のタイトルは「白駒(はっく)の隙(げき)を過ぐるが如し」。荘子の言葉で、「月日がたつのは、白馬が走り過ぎる姿が壁の隙間からちらっと見えるように、まことに早いもの」の意だという。
いま、私はベッドの上の白い天井を白馬に見立て、一刻も早く川畑さんと杯を重ねながら、その白馬の過ぎし姿をもう一度、追ってみたい。そんな思いにかられている。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2014年9月2日掲載)
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