金にならぬこと懸命にする教師はどこへ
— 「民間」取り入れた教育現場は —
こうして毎週コラムを書いていて、何よりうれしいのは読者の方からさまざまな意見が届くことだ。先々週、佐世保の女子高生同級生惨殺事件について書いたところ、大阪の府立高校I教諭からメールをいただいた。
<日刊スポーツのコラム、胸がスッキリしました。あの事件についてどの評論家も「心の教育」だとかピント外ればかり。白血病やがんが教育で治せないのと同様、こうした事件は教育でどうなるものでもないのです。大谷さんのような考えの方がおられることにわずかな救いを感じました>
高校教育に携わる方が、私の考えに賛同して下さったというのはうれしい限りだが、きょうは、それを自慢したいわけではない。この手紙、あとが長いのだ。
<私は定年間近の一教師ですが、じつは学校勤めの前は5年間、ミナミのデパートにいた転職組なのです。だからなおさら、どこやらの市長がことあるごとに「民間、民間」とわめき散らしているのが気にかかってならないのです>
セクハラ、パワハラ、中途退職…、なんでもありの民間校長。でも橋下大阪市長は「民間校長が悪いんじゃない。採用する教委側に問題あり」とわめいて、いや、叫んでいるんですね。
<私が民間から転職して何より驚いたのは、教員のみなさんは生徒のためなら無駄とわかっていても、決してあきらめずに懸命になるということでした。いまは無駄かもしれないけど、何十年後、彼らの役に立つかもしれない。これは一銭にもならないことはしない、という民間転職組の私にはあり得ない感覚でした。
でも、「民間」を取り入れたいまの大阪の学校は働きにくい職場です。新卒者は大阪以外を選ぶし、若い先生方は離職して他府県の採用試験受けまくりです。有権者が選択した首長ですが、これから子どもの教育を考える若い夫婦もおられるなか、こんな絶望的な公教育でいいのでしょうか>
一銭にもならないことは決してしない。それが民間の論理なら、そんな民間に教育された若者たちは、どんな大人になっていくのだろうか。愚かな政治が教育に口を出し続ける社会は、いずれ強烈なしっぺ返しを食らう気がしてならない。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2014年8月19日掲載)
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