「子どもに忍耐」種まいたのは大人
— 各地に広がる保育園騒動 —
ホテルのロビーラウンジ。午前10時からのちょっと大事な打ち合わせのための準備をしていると、ワァー、キャーと3、4歳の子ども3人の甲高い声が響きわたる。奥の席でランチ前のおしゃべりに夢中になっているお母さんの所に戻ったかと思ったら、今度は鬼ごっこを始めて、耳をつんざく声は高い天井にこだまする。客の半数近くは外国のビジネスマン。参ったなというより、平日のこんな時間に、ホテルに子どもがいるのが不思議でならない、と目をパチクリさせている。こちらも仕事にならない。
いま、保育園の騒音をめぐって各地でもめ事が起きている。子どもがはしゃぐ声で会話もできない。ノイローゼになりそうだという声もある。園によっては窓を密閉したり、なんと園庭を2メートルも掘って、土壁の中で園児を遊ばせている。待機児童解消のため園の新設が決まっても、反対運動で頓挫した地域もあるという。
なんという心の狭さ、昭和の時代にはなかったのに…。そんな声も聞こえてくる。だが、新幹線、飛行機。日々移動、移動の私も、間なしにやってくる夏休みなどは、ひたすら忍耐の季節だ。通路を走り回るのは毎度のこと。中には座席でトランポリンを始める子もいるのに、親は知らん顔。ときには、そんな孫をはやし立てる祖父母までいる。困り果てているCAやパーサーなんて知るもんか。子どもはそんなものと決めてかかっている。苛立ちは当然、子どもではなく、親や、じいちゃん、ばあちゃんに向けられる。
その一方で、わが家の横は近くの小学校の集団登校の集合場所。コーヒーの香りとともに子どもたちや付き添いのお母さんの「おはよう」「○○ちゃん、まだかな」の声が聞こえてくるのが、わが家の朝だ。宅配便にも郵便にも激しく吠えつくわが家のわがまま犬も、この集団だけは“”公認”。うれしそうに尾を振っている。
この保育園騒動。突き詰めていけば、無神経な親に抱いた怒りがトラウマになって、いま子どもたちに向けられている。いわれなく忍耐を強いられた大人が、いわれなく子どもたちに忍耐を強いている。種をまいたのは、みんな大人という気がしてくるのだ。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2014年7月1日掲載)
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