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青空 フラッシュアップ


1人でも謝罪した者はいるのか
— 袴田事件の罪 —

 「大谷さん、早く上がってらっしゃいよ」。マンションの3階からのぞいた顔は7年前に取材したときと少しも変わらず、元気そのものだ。再審開始の決定が出て、48年ぶりに釈放された元死刑囚、袴田巌さん(78)のお姉さんの秀子さん(81)。東海テレビの番組で浜松市のご自宅でインタビューさせてもらった。
日刊スポーツの実際の記事画像
 その3日前の19日、「ボクシングの日」に私は後楽園ホールにいた。プロボクサーだった袴田さんをずっと支援してきたWBCが袴田さんに名誉チャンピオンベルトを贈呈したのだ。その後の記者会見で秀子さんは、この日、袴田さんが病院の外出届に「後楽園に帰る 袴田巌」と書いたと笑顔で話してくれた。

 だけど、当の袴田さんは時々、意味不明のことを口走る。48年の年月が、袴田さんを強度の拘禁性ノイローゼにしてしまったのだ。「でも、きょうはみなさまにありのままの巌を知っていただきたくて、こうして連れてまいりました」。姉というより、母のような眼差しの秀子さん。だが、「よかったですね」という言葉より、「なんてひどいことをしてしまったのだ」という思いが私の胸をよぎる。

 五月晴れの浜松のご自宅。拘置所から届いた巌さんの手紙はきれいに整理され、並べるとマンションの床を埋めつくすほどだ。どうしても秀子さんに聞いておきたいことがあった。無罪を主張したけど通らなかったと、9年前、涙ながらに告白した1審・熊本典道元判事(76)を除いて、袴田さんをこれほどまで苦しめた警察官、検事、裁判官は、匿名でもいい、どなたか謝罪してきたのだろうか。

 「存命の方も、ずい分おられるだろうけど、どなたも…」。晴れやかな秀子さんの顔が一瞬、ゆがんだ。この人たちは人ひとりを死の淵に追いやり、人生を台無しにしてしまった。その痛痒を抱えたまま、人生の終わりを迎えるのだろうか。心を晴らしてゆこうとは思わないのか。過ちを正すことに、終わりを告げるゴングが鳴ることはないのに…。

 袴田さんは、きょう27日、48年ぶりに生まれ育ったふるさと静岡に戻る。

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2014年5月27日掲載)




袴田事件(Wikipedia)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/袴田事件
なにが「袴田巌」を死刑から救ったのか(BLOGOS)
 http://blogos.com/article/83278/
冤罪事件及び冤罪と疑われている主な事件(Wikipedia)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/冤罪事件及び冤罪と疑われている主な事件



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