それでも「再稼働」と叫ぶのか
— 時が止まった浪江・請戸小 —
見る見る黒地のコートをまっ白に染める雪。コメントしようにも、こわばる口、かじかむ手。思わず番組プロデューサーに「私、何か悪いことでもしたんでしょうか」と叫びたくなった。
3・11東日本大震災から3年を迎え、先々週末から被災地ですごした。10日は石巻市を見下ろす日和山から、いつもの「スーパーJチャンネル」の中継。11日は福島第一原発から5キロの浪江町立請戸小学校からANN特別報道番組を放送した。日暮れ時になった石巻の中継。本番直前に黒雲が空を覆い、強風とともに激しく雪が降ってきた。八木麻紗子アナともども雪だらけ。番組を終わって掛けてもらった言葉はコメントの内容より「いやあ、寒そうでしたね」ばっかりだった。
浪江の請戸小は、ここに入るまでが大変。原発20キロ圏で警戒区域に指定されていたこの区域は、現在は避難指示解除準備区域になっているとはいえ、スタッフを含めて立ち入るには町の許可を取って何カ所もの検問で身分証を提示しなければならない。もちろん全員に放射能測定の線量計の携行が義務づけられている。
あの日、午後3時38分、海に近い請戸小は15メートルの津波に襲われた。下校していた1年生を除く80人余りの児童は校長先生の機敏な判断で里山に逃げ、途中通りかかった親切なトラックの運転手さんにも助けられて町の避難所にたどり着き、1人の犠牲者も出さなかった。だが、津波は体育館の扉を破り、1階の教室の机もイスも跡形もなく押し流していった。もし、あと10分、15分遅かったら、どれほどの子どもが命を落としたか、考えただけでも足に震えがくる。
波打つ床、体育館の舞台の上には「祝 修・卒業証書授与式」の大きな看板と日の丸、町の旗が掲げられている。1週間後の3月18日、6年生19人が敷きつめられた赤い絨毯の上を歩いて卒業証書を受け取るはずだった。その子たちは、いま県外、県内半々に分かれ、この春、中学を卒業した。子どもたちが成長していくのと裏腹に、かつての学舎は時が止まったままだ。そして私もまた、あれから1週間たつのに時が止まったまま。原発と聞くと、請戸小の光景が浮かんでくる。
その一方で、電力会社は、鹿児島の川内原発をはじめ17基の原発の安全審査を原子力規制委に申請した。私にはとても正気の沙汰とは思えない。3年前のきょう3月18日。予定されていた卒業式どころか、寒風吹きすさぶなか、ちりぢりになっていった子どもたち。その子たちを前に、それでも大人は「再稼働」と叫ぶのか。あらためて問うてみたい。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2014年3月18日掲載)
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