裁判所は「大人の顔」でいいのか
— 弱まる力…蚊帳の外の秘密保護法案 —
もし無効判決が出たら、それこそ、天地がひっくり返るほどの大騒ぎになる。私が出演しているニュース番組も、まさかとは思いつつ、一応そうなったときの準備をしていた。だが、結果は予想通り、「まさか」は起きなかった。
最高裁は、1票の格差をめぐって全国の高裁で14件の違憲や違憲無効の判決が出た昨年12月の衆院選について先週、無効どころか、違憲からも1歩後退した「違憲状態」の判決を下した。長年、こんな状態を放置してきた立法府である国会も、政権与党の自民党も、ホッと胸をなで下ろした。
これに対して新聞、テレビは「国民に背を向けた」「司法の責任放棄」などと非難の嵐だ。それもまた当然のこと。住む場所によって1票の価値が半分以下なんて選挙は、民主主義を根もとから揺るがす。
ただし、だ。ならばメディアの主張通り、去年の選挙を無効にして一から選挙をやり直したら、どういうことになるか。またまた膨大な経費と労力がかかることはやむを得ないとして、アベノミクスも日本版NSCもTPPも、いま問題の特定秘密保護法案も、みんなご破算。それはそれで興味深いけど、国が大混乱に陥ることは間違いない。国際社会は、なんという国だとあきれ返ることになる。
そういう意味で、私はこの判決は事情判決だと思っている。行政事件訴訟では、行政の対応が違法だった場合、裁判所はそれを取り消すのが原則だが、取り消すと著しく公益を害する事情があるときは、その請求を棄却できるとし、判例で公選法にも適用される。まさに今回、最高裁はその「事情」を酌み取って国内外の混乱を避ける、大人の判断を下したと言えるのではないか。
だけど、私は今回の判決を、ある面、評価しつつ危惧していることがある。まさに、仏の顔も大人の顔も3度まで。こんなことをしているうちに、三権分立と言いながら、その一角である司法の力がどんどん弱まって行くのではないか。特定秘密保護法案がいい例だ。
「廃案に」という世論もどこ吹く風。立法府の国会では、巨大与党にすり寄る野党も巻き込んでゴリ押しの成立を目指し、その一方、この法律で隠すべき秘密を特定するのは、防衛、外務などの行政府の長だ。国民の目をふさぐ危うい法律なのに、大人の顔の司法府、裁判所はまったく蚊帳の外だ。
私は日ごろから、裁判所と教育とメディアがしっかりしていたら、国はそう簡単におかしなことにはならないと言い続けている。ならば、裁判所はこれでいいのか。
「大人の顔」の向こうに、次代を担う若者や子どもたちの不安げな顔が見えてくる。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2013年11月26日掲載)
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