テロ情報発信 中国政府の思惑
— 気になる天安門広場突入事件 —
少々気になっていることがある。中国・天安門広場で車が炎上、乗っていた3人を含む5人が死亡した。中国政府は、国内ではこの件に関する微博(ウェイボー)と呼ばれるツイッターを次々削除する一方、国際社会にはウイグル族によるテロという情報をしきりに発信している。あったことでもないと言い張る、この国にしては異例のことだ。
だが、日頃はこの国の政治体制や人権問題に厳しい目を向けている欧米メディアも、とりわけ日本の新聞、テレビも「ウイグル族の不満分子」「ウイグル族の大半はイスラム教徒」「過激派自爆テロの疑い」「新たに5人拘束」などと書きつらね、炎上した車に乗っていた3人の出身地を取材しようと新疆ウイグル自治区入りを試みている。
だけど、ここには中国政府の巧妙で狡猾な思惑が隠されていないだろうか。いま、国際社会は「「イスラム」「過激派」「テロ」の3つの単語がそろえば、みんなの共通の敵だ。アメリカの9・11中枢同時テロ以降、世界中がこの3つと戦っていると言っていい。この事件を奇貨として、中国政府が「われわれも仲間入りしました。自爆テロに走る過激なウイグル族と断固戦います」と声高に叫びだしたら、ウンもスンもない。テロと戦う者を誰も止めるわけにはいかない。
思いだすことがある。1980年代、私は、あの敗戦のときに置き去りにされた中国残留孤児(邦人)の取材で旧満州(中国東北部)を訪ねた。侵略者だった日本人の子どもを大切に育ててくれた養父母。その養父母が日本人の親から子どもを預かったとき、手渡された七五三の晴れ着、セピア色の写真、かんざし。肉親探しを思い立ったときの手がかりにと、大事に取っておいてくれた品々の大半はなくなっていた。
1960年代に起きた文化大革命。日本人の子どもを育てているとわかった養父母の何人かが「日帝(日本帝国主義)の子を育てている反革命分子」として、三角帽を被せられて町中を引きずりまわされた。その光景を見た養父母たちの多くは、あわててそれらの品を焼いたり、捨ててしまったのだ。「文化大革命さえなかったら」「せめて15年、孤児探しが早く始まっていたら」と泣き崩れる孤児の横で私は、なす術がなかった。
ウイグル族を取材したことがあるわけではない。テロを容認する気もまったくない。だが、共産党1党独裁という巨大国家。その中で暮らす少数民族や異国の人々。またしても、肩を震わせて泣いている人はいやしないか。あのときの光景が、目に浮かんでくるのである。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2013年11月5日掲載)
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