なんのために目をあけているのか
— 「はだしのゲン」閲覧制限 —
Hさんは、週に一度はバーのカウンターに並んで座る私の飲み友達だ。40代初め。小学生のころ病気で両目の光を失って全盲。だけど、したたか飲んだあとも、白い杖だけを頼りに都心から吉祥寺まで帰って行く。本人曰く「なんでもござれの百戦錬磨の障害者」。だからこちらも、「もし、目が見えるようになったら、まず何を見たいか」なんてぶしつけなことを平気で口にできる。
「小さいころ見たきりのおふくろの顔、という答えを期待している人が多いようだけど、おあいにくさま。ぼくのせいでさんざん苦労したおふくろの顔なんて、だれが見たいですか。ズバリ、きれいな若い女性ですよ」
言ってくれるね、ご同輩である。先夜もとりとめのない話をしていると、「一番腹の立つことは、目が見えない分、嫌なこと、見たくないものは見ないですむでしょ、と言われることです」と言う。
「本人は慰め半分に気のきいたことを言っているつもりでしょうが、ぼくたちは見たいも見たくないもない。一筋の光でいいから戻ってくれたらと思っているんです」
さて、なんでこんな話になったのだろうかと思いめぐらせて、そうそう、この夜の話題は、あの「はだしのゲン」だった。原爆の悲惨さを主題にしたこの漫画について、松江市の教育委員会が小中学校の図書館で自由に読めなくする「閉架措置」を取っていたことが明らかになった。昨年、1人の市民から「ありもしない旧日本軍の蛮行を描いて子どもに悪影響を与える」とする申し立てがあり、これを受けて市教委は「過激な暴力的場面がある」として閲覧制限をかけた。26日になって閲覧制限は撤回したが、このことが報じられると、この間、市教委には賛否合わせて1000件以上の電話やメールが届いたという。
「はだしのゲン」は、原爆で父、姉、弟を亡くし、自らも被曝。昨年亡くなられた中沢啓治さんが体験をもとに描いた作品で、これまで4000万部が世界中で読まれている。私も全10巻を読んだわけではないが、皮も肉も垂れ下がった被爆者の姿は強烈に焼きついている。私より年下の身近な人に聞いても、「あの漫画で原爆の恐ろしさ、戦争のむごさを知りました」という人は少なくない。
中沢さんは絵空事を描いたわけではない。自らの過酷な体験と、かつての私たちの国の姿を漫画にしたからこそ、これほど長く読み継がれているのではないか。それを見たくないもの、見せたくないものとして伏せてしまう。ならば、私たちはなんのために目をあけているのか。
「はだしのゲン」はもちろん、一条の光さえも届かないHさんの横で、そんなことを考えていた。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2013年8月27日掲載)
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