言論への思い引き継ぐ5・3
— 朝日新聞阪神支局襲撃から26年 —
5月3日がやってくる。憲法記念日であると同時に、言論に関わりのある人にとっては特別な日でもあるはずだ。1987年5月3日夜、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局が襲撃され、小尻知博記者(当時29)が死亡した。あれから26年、先週末の新聞各紙は小尻記者の妻、裕子さんと一人娘の美樹さんの談話を掲載していた。美樹さんは今年、小尻記者が亡くなったときと同じ年齢になるという。
私も番組に出演させてもらっている大阪・朝日放送の一線で活躍している美樹さんは「仕事へのやりがいと責任を感じるいま、『これからという時に父は本当に悔しかっただろうなあ』と心から思います」とコメントしている。事件のあと、西宮市民会館で行われた朝日新聞社葬。まだ事情もわからず、祭壇の前をチョコチョコ走っていた2歳の美樹さんの姿が目に浮かぶ。
だが、阪神支局事件は未解決のまま2002年5月3日、時効を迎え、その日を前に私は広島県川尻町(現・呉市)の小尻記者の実家にご両親を訪ねた。
<憲法記念日ペンを折られし息子の忌> <子の遺せし手垢の辞書や竹の春>。
これは事件のあと、お母さんのみよ子さんが詠まれた句だ。時効を過ぎても、なお「事件の真相を知りたい」と願っていた父の信克さんは2年前、無念のなか、他界された。
また11年前の時効の日、私は朝日新聞労組主催の「言論の自由を考える5・3集会」にパネリストとして参加、15回目のこの年のテーマ「忘れず ひるまず 閉ざさず」について討論させていただいた。
だが、事件から26年、美樹さんがお父さんのあのときと同じ年齢になったいま、言論を取り巻く状況はどうだろうか。国民一人一人に番号をふることでプライバシーが丸裸にされてしまう危険性が指摘されている共通番号制(マイナンバー)は、与野党が仲良く手を組んで、たいした議論もないまま、この国会で成立する見通しだ。
事件のあとに急速に行き渡ったインターネット。そのためアメリカでは、いま全米で1400紙ある新聞のうち、10年後に生き残っているのは、ニューヨーク・タイムズなど、4紙にすぎないと言われている。その一方で、匿名性の陰に隠れたネット上の誹謗中傷や差別的書き込み、それに、なりすまし。それが言論への権力の介入を招いている。
こうしたことに、メディアのなかにいる人々に危機感がないことに危機感を抱く。言論に関わる人たちが、そろって小尻記者の「これからというとき」という思いを引き継ぐ、5月3日であってほしい。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2013年4月30日掲載)
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